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台風被害を超えてわかった、自分でできる復興支援としてのウィキペディアタウン

突然ですが、私の所属する千葉県地域IT化推進協議会データ活用部会ではウィキペディアタウンを各地で開催したり、他の団体が開催するイベントのお手伝いをしたりしてデータの利活用の促進をしています。
最近「ウィキペディアタウンって何の為のイベントなの?」「みんなでやって何が楽しいの?」といったような質問をよく受ける様になりました。
そこで今回はウィキペディアタウンが地域にできることと、台風15号の被害でも有名になってしまった、千葉県館山市で実際に行ったウィキペディアタウンで気が付いたことについてお伝えしたいと思います。

尚、私はウィキペディア自体の開催を主業としていませんので、ウィキペディアや、ウィキペディアタウンの専門的なことについて間違った解釈をしている可能性があります。もしお気づきの点があれば教えていただけるとありがたいです。

「ゴミをひろってまちをきれいに」から、「ウィキペディアに書いてウェブをきれいに」

地域をよくする活動は、誰しも一度くらいは行ったことがあると思います。私の幼少のころは、年に一度クリーン作戦というものがありました。通学路や、地域の広場を決められた時間でゴミを拾うもので、ゴミを拾うことで地域をよくしようというという試みです。今は考えられないかもしれませんが、昔は子供が遊ぶ公園にもタバコの吸い殻、空き缶、食べ物のゴミなどが転がっていました。
年一回ではきれいになることはないけれど、まちをきれいにすることは自分たちのゴミ拾いから始まること、簡単にゴミを捨ててはいけないことなどを啓発することができたのだと思います。
自分たちが拾ったゴミで明日から誰かの生活が劇的に変わるわけでもない。でも、ゴミを置いたままにしておくと、そのゴミを見てまた別のゴミが捨てられ、結果まちはゴミだらけになってしまう。
自分たちに拾うことのできる範囲のゴミを取るだけで、地域は時間をかけてよくなっていくということを、私たちは本当に長い時間をかけて理解しようとしています。

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ウィキペディアタウンがまちにできること

ウィキペディアタウンというのは、そのまちの場所、歴史、人物などをまちの資料として残すためにウィキペディアに投稿、修正をするイベントです。時に、まちを歩いたり、人に話しを聞いたりして知見を深めます。
文章にすると、ネットに興味のある人の個人的な趣味のように聞こえるかもしれませんが、私は「ゴミを拾ってまちをきれいにする」行為と同じように長い時間をかけて、まちをきれいにすることだと思っています。
地域の図書館や、観光協会などが開催をすると、その地域のネットに流れる情報はより史実に基づいたクリーンな情報となり、時間をかけてきれいになっていきます。

情報が溢れかえるまちから情報が繁るまちへ

例えば、旅行に行きたいとします。地方に旅行に行く時、自分が訪れる場所にどんなものがあって、どれくらいの価値があるのか。それはどこにあるのか。事前にネットで調べてから、旅行の日程を組みます。75歳になる母も、最近では観光地のことをネットで検索しています。
Stat Counterというアクセス解析ソフトの分析でわかった、日本で70%以上の方が利用しているGoogleで、地域の検索をすると一番に出てくるのがウィキペディアです。
最近流行りの『〇〇にいったら必ず見たい観光スポット10選』といったサイトもありますが、私はついつい確認作業をしてしまいます。それくらいウィキペディアにはネットに流れる情報を精査する力があるのだと思います。
地域の情報が緑のようにたくさん繁っている場所は、それだけきれいな情報が流れるまちになるのだと思います。

台風15号被災地の館山市でウィキペディアタウンを敢えて行う

2019年初め、11月9日千葉県館山市でウィキペディアタウンを開催する企画が始まりました。地域の図書館の担当者や市の職員などが有志で行うイベントです。イベントの目的は「館山市のことを知ってもらいたい」でした。
まさか、その前に館山を含めた千葉県の各地域がこんなにも被害を受けるとは思ってもいませんでした。
15号通過後、図書館は被災者支援のため解放、職員の方は災害復興に走り回っていました。イベントの設計は、夏以降10月に入るまで完全にストップしてしまいました。
10月初旬、スタッフは改めて話し合いの場を設けました。みんな「館山を盛り上げたい」という思いは一緒でした。
イベントの目的は「館山に来てもらいたい」に変わりました。

復興支援という枠組みの限界

北関東地域も今回の台風では甚大な被害があり、「大震災の時は、復興しよう!やってやろう。という気持ちがあったが、今回は絶望に近い悲壮感がある。」と話しをしている人がいました。被災をした地域で漠然と「前のようには戻らない」というモヤモヤした先行きの見えない不安感や、既視感をみんな抱えているのだと思います。
一生懸命に覆ったビニールシートは次の台風で飛ばされ、土嚢の袋は風化し破ける。やってもやっても、また…
21号通過後、復興支援のボランティアが激減したというネット上での書き込みも散見されました。今、災害支援をの復興ボランティアという形で受けることに限界を感じている地域はたくさんあると思います。

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ウィキペディアタウンで「台風被害」を記録する

館山に来てウィキペディアタウンに参加することに対して、さらに意味を深掘りしてみようという流れがメンバー内で広がりました。
当初予定していた、現地を回って記事を作る候補となっていた地域の史跡建造物は、ダメージを受け見学できない可能性が高まり、現地のメンバーの負担などを考えて「被災地に行ってまでウィキペディアを書く」ということの意義を再度確認したいと考えたのです。
その中で「日に日に明らかになってくる台風被害状況を残したい。伝えたい。」という意見が出てきました。被災地の記録を残すことで、地域を超えて色々な人の役に立つのではないかという思いでした。
被災地に赴き、実際に観光をすることで地域の商業の活性化にも繋がり、被災地の記録を伝承することで、他の地域の人たちの役にも立つ。
被災地で、被害の情報を取り扱うウィキペディアタウンには、複合的な意義があるということが、今回のイベントを組み立てる上で整理することができてきました。

今自分ができる支援をする

ウィキペディアタウンは、少人数でも行えることが特徴です。それによってまちは長い時間をかけてきれいになっていきます。また、自分ができることをできる時間にできる分だけ行うことができるのがネットの強みだと思っています。
「復興支援としてのウィキペディアタウン」是非一度、参加して体験をし、その後ご自身のアクションとして続けてもらえることを願っています。

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白澤美幸(しらさわみゆき)

CivicTechZenChiba 代表
Code for NAGAREYAMA 代表
千葉県地域IT化推進協議会データ活用部会 部会長
株式会社Colabo-ya 代表取締役
誰でも自分らしく生きることのできる未来を目指して、地域をつなぐシビック活動、コミュニティー活動の価値創出、学びの場づくりをしています。



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