感受性の育てかた
はろ、清水美由紀です。
ここ2週間くらいの刺激が、優しいながらも凄すぎて、頭の中にいろんな言葉やアイディアが浮かんでは消えていく、そんな時間を過ごしています。
急いでつかまえないと消えてしまいそうな儚さで、たゆたっているような感覚です。本当に素晴らしい時間を過ごさせていただいたし、何もかも全部が繋がっていると感じています。私の内部を耕して、次への種を植えてくれたんじゃないかな。身体の芯の奥底に、じんと響き渡るようなインパクトを与えてくれました。
なんて、体感覚だけを書き連ねていても、読んでくださっている方には伝わらないと思うので、もう少し具体的に書いていこうかと思います。書き切れるかどうか、伝えられるかどうか分かりませんが、やってみますね。
まずは、感受性について。
私は、感受性が豊かだとよく言われます。感性を褒めていただくことも多いです。でも、よく考えたら、感受性と感性の違いって分からない。
でも、そもそも言葉がふたつ廃れずに残っていることを考えれば、別のものなのでしょうし、字面から想像するに、感受性は「受け取る」ことが含まれている。一方感性は、表現する力に通ずるものなのかなと。
だから、まずは受け取る力をつけない限り、表現することはできないんじゃないかな。
世の中ではインプットが大切だと言われます。そして、それに続いて、アウトプットが必要だ、と。確かにそれは本当に大切なことだと私も思っています。だけど、いくら大量のインプットをしたところで、受け取る力がなかったら単に情報が流れていくだけ。同じ話を聞いても、同じものを見ても、90%受け取れる人もいれば、10%しか受け取れない人もいる。同じ景色を見ても、受け取れる量は人によって違う。それは、それまでの経験や知識、何を考えて生きてきたか、どんなことを大切にしているかで変わります。ザルじゃなく、きちんと何かしらが心に引っかかるためには、感受性がなければいけないんだと思う。
それはある意味、知識の差でもある。
ある花を見て、「ピンクの花だ」という認識になるのか「これは百日紅だな。木登りの上手な猿ですら滑ってしまうほどの、すべすべした木肌からこの名前になったんだよな。ちょうど今この花の時期で、そういえば恩田陸の小説「ユージニア」にも出てきて強い印象が残ってる。百日紅は地元でも咲いていて、賑やかな色彩にも関わらず、シンとした音のない夏を思い出させてくれるものだなあ」etcとなるかは、その人の持っている情報量次第。
つまり、世界を見る解像度が高くなればなるほど、感じて受け取れるものも増える。それは、単なる知識ではダメで、もしも辞書が人格を持ったとしても、それは感受性とは呼べないんじゃないかと思う。
じゃあ、感受性を育てるにはどうしたらいいのかと言うと、受け取る力が強い人と同じ時間を過ごすことが必要だと思う。その人が何を見て何を考え、何を受け取っているのかを言葉にしてもらって、その上でまた対象を見る。その繰り返しで育っていくんじゃないかなあと感じています。
来年は、感受性を育てられるような、そんな機会を作れたらいいな!
なんてことを書いていたら、先日撮影旅in信州企画に参加してくれた友達からこんなうれしいご感想が…!
なんて、受け取り力の高い(そして言語化能力も高い)人なんだろう…!
自分自身か地球の一部だと知ること、全ての天候や季節が愛おしいこと、その土地ならではのユニークさを大切にすること…そんなことをもっともっと伝えていきたい。この撮影旅の中で、ひょんなことから合宿(リトリート的なもの)をやりたいと話したら、「やってほしい!参加するよ!」と言ってもらったので、来年にでもやりたいな!LINEやInstagramをフォローしておいてくださいね◎
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