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非繊細さんに学ぶ 「私はアナタのために何かできることが嬉しい」
自分が何かしてもらい「ありがとう」と言って、返ってきた言葉が「私はアナタのために何かできることが嬉しい」だったら、どう思いますか?私(繊細さん)は最初この言葉を聞いて、どうにもモヤッとなってしまいました。
何故モヤッとなったのか、半日考えていたのですが、わかった時に目からウロコが落ちました。
「私はアナタのために何かできることが嬉しい」は私(繊細さん)には言えない
私(繊細さん)が言うとしたらこうです。
「私はアナタに喜んでもらえて嬉しい」
つまり比較すると↓
非繊細さん「私はアナタのために何かできることが嬉しい」
繊細さん「私はアナタに喜んでもらえて嬉しい」
この違いが、わかりますか?
私(繊細さん)が嬉しいのは、「喜んでもらえたこと」
もっと言うと「ありがとう、と感謝されたこと」
一方、非繊細さんが嬉しいのは、「何かできること」
繊細さんの喜びが、受動的で相手の反応に依存していることに対して、非繊細さんの喜びは能動的で相手の反応に依存していないことがわかりますか?
繊細さんをやっていると、どうにも相手の反応が気になってなりません。
相手のためを思ってやっても、感謝されなければ落ち込んでしまうし、喜んでもらえなければ意味がないと思ってしまう。
でも非繊細さんのこの言葉は何か違います。
「自分が何か出来ること」自体が喜びなんです。(マジ?)
私は、「私はアナタのために何かできることが嬉しい」と言われた時、私そんなに感謝しているように見えたのかな?と思ってしまったくらいです。で、いや、そこまでではないよな、と思ってしまったくらいなわけです。最初はこれがモヤッとの原因かと思いました。けどそう言う問題ではなかったようです。
もちろん、
相手のためになる=相手に喜んでもらえた
で間違いではないんですが
(勘違いのおせっかいになりかねません、相手が喜んでないのに、相手のためになったと思い込むのはただのエゴです)
ただ喜んでもらえた時、その反応の大小によって、自分の喜びを比例させる必要はない、ということ。
人からの評価、その人の反応、相手がどう思ったか、その大小。そんなことばかり気にしてしまう私(繊細さん)。相手の為に何か出来た、ということそれ自体に喜びがあるんだと知った出来事です。