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私は人類、ただし発達障害

さて、私を知っている人ならご存知の方も多いと思うんですけれども、私は発達障害、ADHDという特性を持っています。

まあこれ、いま、ポリコレ的に配慮して「特性を持っている」なんつー柔らかい表現をしてみましたけれども、ぶっちゃけて自分の個人的な感覚としてはまごうことなく「私は障害を持っています」という表現が適切だと感じますけどね。


世間では「自称発達障害」なる言葉も散見されるようですが、私は数年前にしっかり「大人の発達障害」を診て貰える精神科で検査をして太鼓判な診断をいただきました。

ではなぜ検査をしようと思ったの?ってところなんですが、まあ思い当たることがあったわけで、これまで40年以上生きてきて、折に触れ「私は何か脳みそに欠陥があるんじゃないか?」と疑うことが多かったんですね。

例えば元夫の浮気裁判をした時。
段取りや主張の流れなどはちゃんと理解できるのに、証拠の日付を証言するにあたってどうしても数字を覚えることができず(証言は本来メモなどを見てはいけないので)弁護士さんに「すみません、私、ちょっとお脳に何か障害があるんじゃないかと思うんですよ」と言ってみたところ、ごく真面目に、茶化すでも笑うでもなく「......確かに何かそういうトラブルがあるのかもしれませんね」と頷かれたということもありました。
まだ、大人の発達障害という言葉が世間に知られてくるよりだいぶん前のことです。

これはほんと、困りました。みなさん、裁判において日時の記憶がないならそれは偽証なんではないかと思われるでしょう。冗談ではありません。私は家族の誕生日も、元夫の誕生日も、結婚記念日どころか結婚生活が何年あったかも、なんなら自分の作家デビューの年ですら、思いつく限りの自分にとって大切な日時をなにひとつ覚えていないのです。そんなパーな人間がいると普通の人は思いませんよね。ここにおるんじゃよ。

ちなみに日時が覚えられない自覚がある私は、証拠になるようなことはきっちり余さず日記に記録していたので日付は正確でしたのよ。でも、ソラでは言えないの。マジ困るぜ。


ちなみに他にADHDの症状として、鍋を火にかけていることや風呂を沸かしていることをほぼ必ず忘れる、異常な遅刻魔である、空気の読めない行動が多い、衝動的な行動が多い、などがあります。

細かく言うともっともっとたくさんあるのですが、ひとつひとつは普通の人も「そんなの、私にもあるよ〜!」みたいなことです。「気にすることないよ〜」みたいな。
分かります。実際、誰しもが10日や20日に一回くらいは私と同じミスをしたりするでしょう。
しかしそれをまるッと全てまとめて毎日、365日、休みなく繰り返してごらんなさいよ。そりゃ、あーた、心底、自分で自分がうんざりしますわよ。

もちろん付き合わされる方もうんざりします。何度注意しても毎回5分遅刻してくるバイトと一緒にシフトには入りたくないでしょう、みなさん。
じゃあ気をつければ良いじゃないか!と思いますよね?私もそう思うので次回は気をつけようとするのですが、これが困ったことにまた遅刻してしまうわけですね。なんででしょう?そうです。それはもう、人間としての能力が「普通より劣っている」としか言いようがありません。まあ正確にいうと「いちじるしく空間・時間把握能力に欠けている」ということなんですが、とにかくADHDの私は人として当たり前の能力が劣っているため、「健常者」ではなく「障害者」なわけです。
そんな明確な事実を私は別に言葉のオブラートに包んで欲しいとは思いません。そんなことで傷付くような段階はもう、とっくの昔に通り過ぎてしまいました。
(でもこれに傷付く人ももちろんいるから、私以外の人には「障害」じゃなくて「特性」って言ってあげてね、私がうんざりをキメすぎてるだけだからね)


まあそんなこんなで「どうも私の頭には不具合があるな」と疑いを抱いておりました折、世間で「大人の発達障害」という言葉が認知され始め、「これは!」と思い立って病院に行ってみました。
そして2ヶ月くらいかけてアレコレといろいろな検査をした結果、私は見事にADHDの診断を手に入れたわけでした。


これには正直、ほっとしました。
世の中には発達障害の診断をされてショックを受ける方もいるようですが、たぶん、自分ではあまり自覚がなくて、周りの人から勧められて検査を受けたりするとショックなのかな?と思うんですが......実は発達障害者は自覚のない人が多く、家族などが困り果てて通院を勧めることが多いのです。
それが私の場合、「私自身が私に迷惑を掛けられて困り果てている」という状態だったわけですね。なので、その原因を突き止め、改善する可能性ができて救われた気持ちになりました。


そうか私にはやはり脳の障害があったんだな!という納得は「では自分の能力ではいくら努力してもできないことがあるのだな、よし、できないことをしようとするのはやめよう」という諦め?いや、前向きな判断に繋がりました。

私のお友達のライターさんが発達障害者向けのライフハックの本などを出しているのでそれをよく読み、お医者さんと相談し、苦手だけどどうしてもやらねばいけないことはミスを減らすように工夫をし(タイマーやメモを駆使したり、出かける時は必ず毎回、待ち合わせ時間から動作の逆算をして書き出して目に付く場所に貼るなど)、とにかく人様に迷惑を掛けるような事態を極力減らす。

幸いなことにADHDには脳の機能を補う薬があるので、それをきちんと飲む。
などなどの対応を致しまして、まあいま、新たに私と会った人にはほぼ「発達障害なんて分からない!」と言っていただけるくらいの「まともさ」を手にすることができたのではないかと思います。
でも油断するな!それは表面的な「マトモ」なんだぜ......!!


あら、サクッと短い内容にするつもりがかなり長くなってしまったわ......。

そんなわけで、私はこの障害と一生付き合ってゆかねばなりません。発達障害は「治る」ものではないのです。
だからこそ、できないことはできないと諦めて、数少ないできる部分を活かして働きつつ、死ぬまで自分の食い扶持を稼いでいきたいなあ、とささやかながら大きな野望を抱く次第であります。


※文章中の特性は私個人のものであり、発達障害者すべての人に当てはまるものではありません。


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深志美由紀
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