美しき不吉。
その日、花を買う予定はなかった。
暑い中、コーヒースタンドでコールドブリュートニックを飲んで喉を潤したわたしは、次はなんだかあたたかいラテが飲みたくなって、帰宅する道すがら二軒目のコーヒースタンドに向かっていた。
夕方になると、風が少しだけ涼しい。
その途中で、最近見つけたお気に入りの花屋の前を通る。遠目でちらっと店先を見ると、元気いっぱいの黄色の花束が、がさっとカゴに入れられてディスカウントされているようだった。
なんだかふと、妙にその花が気になった。ぽんぽんと弾けんばかりに咲いている、小ぶりの愛らしい花たち。
先週ここで買った花はまだ元気だというのに、気づいたらわたしは、その花を手に取ってレジに向かっていた。知っているような、はじめましてのような小さな花。少しタンポポに似ている。
「この花は、なんという花ですか?」と店員さんに尋ねると「菊ですよ。長持ちする花なので、長く楽しめると思います」とニコニコしながら渡してくれた。
「……これ、菊なのかぁ」
菊といえば、仏花。お供え物にする花に吸い寄せられるように惹かれたわたしは、「なんだか不吉なことが起きるのかなぁ」という考えが、とっさに浮かんだ。
少しモヤッとした気持ちを菊の花束とともに抱えながら、コーヒースタンドに向かう。
ラテを飲みつつ、きらめくような黄色で咲く花たちを眺めながら、わたしは菊の花言葉をスマホで調べていた。
「高貴」「高尚」「高潔」
黄色の菊であれば、
「わずかな愛」「破れた心」「長寿と幸福」
いろんな意味があって余計にわからない。わずかな愛。破れた心。失恋でもするのか。それとも失注?そんなの、困る困る。どうか、幸福のほうであってほしい。
どうやら菊がお供え物に選ばれる理由は、先ほど店員さんが言っていたように、長持ちするかららしい。この小さな菊の品種は「スプレーマム」というようだ。
スプレー(枝分かれした)マム(菊)、見た目のまんまの名前で、なんだかかわいい。
……そうだ。
「かわいい」だけで、いいじゃないか。
仏花だから不吉な花だとか、そんなのは人間の都合でついてしまった勝手なイメージで、こんなにも綺麗に咲いていてる花には関係ないし、とんだ迷惑だ。
この子たちは、いきいきとただ美しく、そこに在る。わたしはなんの前情報もない状態で、自分の感性で受け取ったまま、この子たちを愛でればいい。
わたしがかわいいと思ったのだから、この子たちは、かわいいのだ。
ラテを飲み干したわたしは、さっきよりも大切に腕の中に花束を抱えながら、家に向かった。
茎はハサミで切るより手で折ったほうが、繊維から水をよく吸うようになること。余計な葉っぱや花は思い切って落としたほうがいいこと。茎のぬめりを丁寧に洗って、毎日水を換えればより長持ちすること。
インターネットで調べたそれらの情報を守って、大切に世話をして飾っている。もう10日以上が経つが、花がヘタる様子はほとんどない。
今のところ失恋も失注もしておらず、元気いっぱいのスプレーマムを眺めるたびに、少しだけ「フフッ」となって、幸せな気持ちになる。
わたしはなんでもすぐに、物事の背景や意味を知りたくなってしまう。そして、手元に来たものや起きた出来事に、意味付けをしたくなる。
でもそれが、素直に感じることを邪魔している場合も多いのかもしれない。そんなことを、この花が教えてくれた気がしている。(これ自体も「意味付け」かもしれないけれど)
今日もかわいくって、ありがとう。君たちの花言葉がなんであろうと、ただそこに在るだけで、今日もいい日になっている。