見出し画像

私がヒップホップを始めたわけ

ロサンゼルス在住のみゆです。

私は60歳。1年半前に突然ヒップホップを踊り始めた。ハマった。この歳の私がどの様にダンス狂になったか こっそり教えよう。

海外生活が40年近くなっても、興味のある日本の情報は しっかりキャッチしている。

公立学校でダンスが必須になった、とかシニアのヒップホップ人口が増えている、といった情報は、安部総理の移り気な発言よりずっと有益だ。

随分前、SNSの動画でかなり真面目にヒップホップやポップを踊るシニアのドキュメンタリーを見た。衝撃的で感動した。カッコいい、と思った。

慢性疾患や手足の麻痺をヒップホップで克服した人もいるし、強いリズムに合わせ、波の様に流れる動きのダンスを続け、ほとんどの人の運動神経や瞬発力が向上したという事実も見逃せなかった。

その頃は、子育てと仕事と家事で、ほぼ一日が終わる生活で、YouTubeの動画を見て学ぼうと思ったけれど、それっきりだった。

数年後、何かの力に引っ張られ、私はダンス スタジオに向かって車を走らせていた。

その3か月前、私は最愛の息子を自死で失っていた。死そのものの悲しみは勿論、それ以上に自責の年と息子の無念さを思うと、体の大部分をえぐり取られたような深い喪失感に陥っていた。正常では無かった。

息子が私をダンスに引き合わせてくれたのか。そうとしか考えられない情熱で私はネットで近くのダンススタジオを見つけ、ほどなくそのスタジオがオープンハウスをすると知った。

仕事の日だったが、真っ赤なウソをついて、3時間仕事を抜け出した。

ダンスの経験はほとんど無かった。その私が2時間ぶっ通しで踊った。強いリズムと薄暗いスタジオに溢れる熱気。汗。汗。汗。はち切れる笑顔のダンスのインストラクターにつられ、私も思わず笑顔になる。

笑ったのは何ヶ月ぶりだったろう。笑っていいのかな。苦しむ息子を死から救えなかった母親が、ダンスなどして笑顔を見せていいのだろうか。

ヒップホップの楽しさと、自責の念が交差する日々が過ぎゆくある日、赤信号で止まっていた車の中で急に涙が溢れ出した。

マミー笑って良いよ。踊っていいよ。

そうか、やっぱり君だったんだね、そうだよね、君もダンス 好きだったもんね。君が私の中で踊ってるだね。

私はとても優しい気持ちに包まれて、スタジオ近くに車を止めた。今日も練習だ。インストラクターの笑顔に負けないぐらい大きな笑顔を返した。私は踊り続ける。

その後

コロナで自宅謹慎令の出たカリフォルニア州は、4ヶ月ほどダンス スタジオは閉鎖されて、再開のめどはたっていない。私はオンラインのダンスを続けているが、生の笑顔と熱気を感じることはできない。インストラクターやダンス スタジオ経営者は大きな経済的打撃を受けている。

でも、やっぱり、

辛い時

踊ればいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?