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風の足跡 第一部 3📗ねずみ・・・久光良一詩集 風の足跡 より
2005年4月に発行された「久光良一詩集 風の足跡」より
第一部 生きてきた日々(19篇) 3 ねずみ
03
ねずみ 久光良一
時間を売って
こゝろを売って
わたしは
ねずみのように貧しくなった―――
まい朝
ふるい鞄のなかに
べんとばこと
なんにも書いてないノートを詰めて
時間を売りにゆく。
まい日
時間を売って
わたしはいなくなる
五時がなって
どこかの扉が
風にあふられたように
おゝきな音をたてゝひらくまで・・・・・
扉のむこうから出てくる
わたしのこころ。
わたしのにくたい。
からっぽのべんとばこ。
時間を売って
わたしは
わたしを売って
どぶねずみのようにきたなくなった―――
まい晩
わたしの部屋の机の上に
なんにも書いてないノートと
すいみんやくのびんがならんで
月のひかりをあびている。
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03
ねずみ
(M 一連 … 音なしで 朗読のみ)
時間(じかん)を売(う)って(')
こゝろを売(う)って(')
わたしは(')
ねずみのように貧(まず)しくなった’―――
(M間奏?っていうのか。音楽スタート)
まい朝(あさ)(')
ふるい鞄(かばん)のなかに ’
べんとばこと(')
なんにも書(か)いてないノートを詰(つ)めて(')
時間(じかん)を売(う)りにゆく。’
まい日(にち)(')
時間(じかん)を売(う)って(')
わたしはいなくなる’
五時(ごじ)がなって(')
どこかの扉(ドア)が(')
風(かぜ)にあふ(お)られたように(')
おゝきな音(おと)をたてゝひらくまで ’・・・・・
(M次の言葉のメロディーのモチーフを予備した間奏)
扉(どあ)のむこうから出(で)てくる(')
わたしのこころ。’
わたしのにくたい。’
からっぽの(')べんとばこ。’
時間(じかん)を売(う)って(')
(Mこの連はメロディあり)
わたしは(')
わたしを売(う)って(')
どぶねずみのようにきたなくなった’―――
(M間奏?というのか、エンディング。次の連のための低音の保続音に繋ぐ)
(M次の連は朗読。音は低音の保続音のみ)
まい晩(ばん)’
わたしの部屋(へや)の机(つくえ)の上(うえ)に(')
なんにも書(か)いてないノートと(')
すいみんやくのびんがならんで(')
月(つき)のひかりをあびている。’
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久光先生、
三連目、四行目の
「五時がなって」
とは、五時に仕事の終了を知らせるチャイムが鳴る、
ということでしょうか?
おっしゃるとおり、五時がなるというのは、五時の
チャイムが鳴るという意味です。
>二連目・四連目の「べんとばこ」と六連目の「ノート」は、
>「わたし」を象徴した言葉 ということでいいのでしょうか。
そのとおりです。私というものを、もっとも象徴する道具として使いました。