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戦時のウクライナ、ひとり旅 7 〜イジューム・447体の墓場〜

真夜中。
午前1:30になり、鳴り続けるサイレン。
午前3:30には、2度の爆音。

ハルキウのホテルでの最後の夜は、不安を掻き立てる。

午前6:30にホテルをチェックアウトし、歩いてハルキウ駅まで。
午前7:55発予定のイジューム行きの列車の乗車券が購入できた。
眠れなかった疲れと、これから向かう先は多くの方たちが犠牲になった町、イジュームであるということから、気持ちが焦り時間を見間違えてしまう。
まだ乗客も集まっていない時間だったのに、必死になって出発する列車を探してしまう。ようやく自分が時間を間違って見ていたことに気づき、自分にあきれてしまう。

イジューム行きの列車は、時間通りにやってきた。
乗車すると、その中は2011年の震災後、「今いる場所とふるさとである日本・東北の物理的、そして心理的な距離を感じよう」と乗った、古びたシベリア鉄道を感じさせられた。この列車の古さから、ウクライナがまだソ連の一部だった時代(1919年〜1991年)に建造されたものかもしれない。携帯電話を充電できるような電源はないし、車窓は木製の窓枠なのだ。それでもウクライナ国鉄はそれを大切に使用しているのがよくわかる。
ウクライナ入国時、ポーランド東端のプシェミシルから乗った電車はもっと新しかった。同じウクライナの国内でも、東西の違いが列車の違いにも見て取れるのだ。

約130キロの距離を約4時間かけて、ハルキウからイジュームまで。
ハルキウ出発時にはあまり乗客の居なかった列車は、イジュームに着く頃には乗客はごくわずかになり、彼らもあっという間にイジューム駅から去ってしまった。戦争がなければ、もっと多くの乗客が乗っていたであろ。
女性の駅員に尋ねると、列車は現在2日に1本のみ出入りしているという。
イジュームからクラマトルスクまでへの鉄道路線は、東部戦線のドネツク州を通る。そのためなのだろう、今は鉄道は運行せず、代わりにミニバスしか走っていないことも教えられる。

次の目的地であるクラマトルスクまでのバスを確認しておこうと歩きだしてみるが、Googleマップはまったく頼りにならない。いや、Googleの落ち度ではない、バスターミナルが爆撃を受けて全壊したため、小さな商店を臨時のバスターミナルとして使っているのだ。「ターミナル」という名前にまったくそぐわないが、これも戦争なのだ。
ここでクラマトルスク行きのバス時間を尋ねておけば、現在は宿泊できるような営業中のホテルもないこのイジュームでの滞在時間を推測できるだろうと、このバス乗り場に行ってみる。
そこで私を助けてくれたのは、英語が話せるバス会社のマネージャー、コスティアだ。年齢は30代ほどだろうか、このコスティアがイジュームを案内してくれる知り合いのタクシーを呼んでくれる。

バス会社のマネージャー、コスティアが彼のかつての事務所を案内してくれる。© Miyuki Okuyama

タクシーとは言っても普通の乗用車だが、これに乗ってイジュームの町を巡る。
ドライバーの言葉は一切分からないが、車が減速すると見えて来るのは、爆撃された場所。
イジューム川に掛かる橋は破壊され、そのすぐ隣りの仮説の橋はウクライナ国旗の色、青と黄色に塗られている。
ロシア軍の支配下となったイジュームだが、2022年9月にはウクライナ軍によって奪還されている。奪還はされたが、しかし、町の中は破壊のあとばかりだ。

破壊された橋、イジューム © Miyuki Okuyama

特にひどく爆撃を受けた団地に入ってみる。
目に付くのは、荷物や家具が散乱した部屋だ。爆撃の後に生存者が来て大切なものや必要なものを集めたのか、部屋の中は激しく荒れている。ドアも照明も壊れ、家具は乱暴に開けられている。床には足の踏み場もないほど、服、靴、あらゆる道具類、ランプ、古いビデオテープ、食器、、、、と、普通の家にある普通の物が散らばっている。
60年代ごろのものか、古い結婚式の写真が壁に残されている。
ソファの上には、やはり古い赤ん坊の写真がある。
この写真の中の人物は、無事に生きているのだろうか。それとも、、、
この団地では47名の遺体が見つかっている。

爆撃を受けた団地の窓からの眺め © Miyuki Okuyama
人口着色された古い写真 © Miyuki Okuyama
古い結婚式の写真 © Miyuki Okuyama
激しい爆撃を受け、そのうち解体されるであろう団地 © Miyuki Okuyama
この団地で犠牲になった人々の遺影 © Miyuki Okuyama

タクシーは町の外へ進む。
広い松林の近くで停車したのは、集団墓地。ここで447体もの遺体が見つかった。5体の子どもの遺体が含まれていただけでなく、拷問や処刑の跡が見える遺体も多かった。

イジュームの松林の中の墓地 © Miyuki Okuyama
華やかな装飾のある十字架も残されたままだ © Miyuki Okuyama
地雷のリスクを表すテープが残ったままだ © Miyuki Okuyama


何処までも穴ばかりの松林 © Miyuki Okuyama


当時のニュース画像を見ると、どれだけ森の中に死臭が漂っていたかがわかるが、今は誰もおらず、静かで、かすかに森の匂いがするだけだ。
ドライバーが言う。「ミネ!ミネ!」
「ミネ」とはなんだろう、と思ったが、まもなく彼のジェスチャーで分かった。英語では「Mine」(マイン)、つまり地雷だ。まだ地雷が残っているからだろう、あちこちにテープが貼られている。
遺体はすべて掘り起こされているはずだが、松の木一本一本の間に棺桶の大きさの穴が掘られたままだ。
見渡せないほど広い墓地の空の棺や十字架、ろうそく、鮮やかな造花が大量殺人を物語っている。
447名というこれだけ多くの市民が一度に犠牲になるという、悲劇を超えるような悲劇を、我々はどう受け止めるのか。

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