戦時のウクライナ、ひとり旅 6 〜写真でとらえたハルキウの惨劇〜
ウクライナ北東部に位置する第二の都市、ハルキウ。
1970年代に完成した、印象的な設計の地下鉄駅。乗り換えがわからずにいると、言葉は通じなくても助けてくれる人たちがいる。
そんな中、戦争が始まってから乗車が無料になった地下鉄で、ハルキウ市の北の終点の駅のHeroiv Pratsiまで。
この駅からさらに北東の住宅地、サルトゥフカまで1キロほど歩くと、そこで猫のシモンを介して出会ったイリーナが、特にひどい爆撃を受けた団地の建物を案内してくれる。
「ここも、そこも、あっちも。」
爆撃の程度は違えど、人が住めないほどの被害を受けた団地はその場所を覚えきれないほどある。
黒く焦げた外壁、割れてベニヤ板で覆われた窓、外壁が爆撃で崩れ落ち、中が丸見えの部屋。
崩れたコンクリート壁から流れ落ちるようなワイヤー類。家具や壁に飾られたものがそのまま外から見える様子。枝に座らされたテディベアの下に何故か集められたような廃品の群れは、ロシアによる攻撃の前はそれぞれ誰かの持ち物だったはずなのだ。真っ赤なレースのブラジャーが木の枝にぶら下がる。これを身に着けていた女性は、どうなったのだろうか。
特に激しい爆撃を受けたのは、8番団地だ。北側の外壁がひどく破壊され、中にはもう誰も住めない。このように破壊された建物を見るのは私には初めてのことで、だからこそその酷さで映画のシーンでも見ている気にさえなる。このような言い方をウクライナの人が聞いたら、悲しんだり怒ったりするに間違いないのだが、あの団地を見た感覚をどう表現すればよいのか分からないのだ。
中にひっそりと潜り込み(決して立入禁止のサインがあるわけではないが)、入れる部屋を覗いていると、「ここからも犠牲者が出たのだろう」と気分が悪くなるほどだ。そこで感じられるのは、不気味なほどの静けさと、死の気配。建物の外は心地よい初夏の日差しなのに。
そして、その様な気持ちを表現するかのように、廃墟になった団地の部屋の壁にはバンクシー風の(まさか、本当にバンクシーか?)落書きがある。家族と家を失ったような少年が、ペンで描いた簡単な家の形の中にうずくまっている。
また建物の外にでて、何かを話し合っている男性や女性たちの姿を目にするだけで少しホッとするほどだ。
私に気づいた小柄なトラ猫が花壇の後ろから突然現れて、あっという間に私にすり寄ってくる。飼い主が猫をおいて避難せざるを得なかったのか、たとえ誰かに餌を貰えるとしてもひどくさみしい思いをしているに違いない。いくらでも、いくらでも撫でてほしくて、ベンチの上で転がりまわってはお腹を出してくる。
このハルキウの団地での体験の一日をどう終了させればいいのか分からないまま、写真を撮り過ぎてデジカメの充電が無くなりそうになった頃に「終了」とするほかなかった。この、攻撃された団地で過ごした1日の日記メモを今になって見返しても、書いてあるのは短いのだ。
あの地下鉄に乗り、ホテルに戻り、翌日のイジュームへの移動の準備をしたことだけは覚えているのだが。
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