
戦時のウクライナ、ひとり旅 12 〜 旅が叶わなかったヘルソン 〜
18:55にドニプロ発の夜行列車に乗り、一晩明けてたどり着いた港町、オデッサ。
ちょうど父の誕生日で電話でお祝いを言うが、今ウクライナにいることはもちろん話せず申し訳ない気持ちになる。両親は誕生日でも農作業に忙しいらしい。
しかし、ここオデッサはあくまで経由地で、ここから向かうのはヘルソン。2022年の攻撃後まもなくロシアに占領されたがその後奪回。しかし、今もそのリスクから鉄道は運行していないという。ヘルソンに向かうには、ここから約200キロをミニバスでの移動になる。さっそく次のバスのチケットを購入する。バス代は200フリヴニャ(760円ほど)だが、バスドライバーへのチップとして400フリヴニャを追加される。鉄道だったらもう少し安く乗れたのかもしれないが、長く連なる列車は空からの攻撃の対象になりやすいため、小さなバスだけが今の交通手段なのだ。前線へ向かうミニバスを運転してくれるドライバーへの感謝を込めて、この料金を払う。
ヘルソン行きのミニバスは午前10時出発。
クラマトルスクまで乗ったミニバスに比べるとだいぶ新しく見えるが、それでも20年ほどは使われたらしい車両だ。
のどかには見える道路を広い川を渡りながら東へ、東へ。
目的地が近づくと、軍のチェックポイントがある。ここでミニバスが停車させられ、乗客全員の身分証明書をチェックされる。しかし、、、
私の日本のパスポートを見て、兵士は携帯電話で誰かに連絡をしている。ミニバスから私だけが降ろされると、バスは出てしまう。言葉も通じず、何が問題なのかもよくわからないままだ。
土嚢を積み重ね、上には迷彩色のネットがかけられたミリタリーチェックポイントで待たされる。どうなるのだろう?ヘルソンに行けるのだろうか?
14:30。稲妻が光り、雷が鳴り、雨も降り始める。
ミリタリーからの返答は「No」。住人であればヘルソンへの出入りができないと色々困ることもあるが、私のような外部者、ただの訪問者をリスキーなヘルソンには行かせられないという。残念だが、、、
次のミコライウ経由オデッサ行きのバスが来るまで、ミリタリーのテントの下で待たされる。稲妻と雨を避けようと、小さな犬もこのテントに入って来た。この犬はメスで、子犬を産んだばかりのようだが、子犬は1匹も連れていない。子犬はどうしてしまったのか?この戦争で犠牲になるのは、人間だけではない。多くのペットや家畜、野生生物も爆撃で命を失い、あるいは避難する家族に連れて行かれずに後に残されてしまった。
この哀れなメス犬の写真を撮りたかったが、ミリタリー設備ではカメラすら出せない。市街から離れたこのチェックポイントの周りには、草原しか見えない。雷雨の中、どこかからカラスの群れの鳴き声が聞こえてくる。

しばらくするとさっきと同じミニバスが戻って来た。軍からの依頼で、私を無料でのせてくれる。
「オデッサ?」
「いえ、ミコライウでも、いい?」
「オーケー」
ちょうどヘルソンとオデッサの中間地点のミコライウにミニバスが到着するが、市内中心部からは2キロほど離れているようだ。どんな町だろうと、キョロキョロ見渡しながら、中心部を目指す。
アイリスが花盛りだ。

適当に見つけたホテルは、1階がスポーツジムになっている。高層階の部屋をもらう。
夜中2時ころ、もう慣れたとはいえ空襲警報のサイレンが聞こえると、目が覚めてしまう。もちろん危険を回避するため、市民の目を覚まさせるのがサイレンの役割ではあるのだが。窓から外を見ても、何も見えない。どこか不気味なサイレンの音は、何度聞いても慣れないような気がする。何年か前、実家に帰省中に北朝鮮のミサイルが北海道上空に向けられ、やはりサイレンが鳴ったあの奇妙な音を思い出す。
朝9時に依頼したタクシー。黄色いサングラスのドライバー(U2のボノの顔に似ている)は非常に無口で、彼は口がきけないのだろう、と思い始めた頃、飼い主に置いていかれてしまった犬を見つけると、やさしく声をかけて牛乳を飲ませている。この犬の顔は浮腫んだように見えるが、なにか口腔内の病気なのか、蜂にさされたのか。ドライバーは口がきけないどころか、動物にとても親切な人物だった。タクシー代も携帯電話のメーターできっちりしてくれる正直な男性だった。
犬は我々の前で何度もなんども伸びをするが、後で調べるとこれは痛みを感じたり、あるいは緊張を解したいという気持ち、さらにはヘルニアなどが原因らしい。悲しいかな、彼には何もしてあげられないのだ。


彼の案内で、ミコライウの爆撃の跡を巡る。
爆撃された建物をつぎからつぎと見ることになる。
最初は、そのような戦跡をいくらでも写真に残そうと思っていたのだが、あちこちに残された崩れてしまった建物を見ているうちに、自分は何をしているのだろう、私の目的は、と疑い始める。











バスターミナルでタクシーを降りると、そこで何かを食べるまもなくオデッサ行きのミニバスの乗車が始まる。満席。隣に座るのはまだティーンエイジャーらしき女の子で、膝にフレンチブルドッグをのせている。この犬が少女の脚の上で眠りにつくまで、何度も撫でさせてもらえる。戦争で置き去りにされることがなかった、ラッキーな犬だ。
14時ごろ、すでにオデッサに到着するが、ここには泊まらないことに決めた。
バックパックを背負ったまま、ビーチを歩く。戦争中でもいつもの暮らしはある。砂浜の上の家族やカップル、堤防から海に飛び込む少年たち。
海沿いを進むと、貨物船や大型のクレーンがたくさん見える。オデッサは重要な港町だ。写真を撮ろうとすると、男性が丁寧な英語で「ここは撮影禁止ですから」と注意してくれる。ここは軍港でもあるため、やはり写真撮影は、とくに今のような戦争中は撮影が禁止なのだ。
町の中の交差点のあたりを歩きながら撮影しても、そこにいた軍から注意され、写真を削除させられる。
偶然見つけたヴィーガンのレストラン・カフェに入る。中では絵のレッスンも行われている。戦争中でも、やはりおいしいものを食べたいし、好きなことや文化的なこともだれだってやりたいのだ。
21:06、オデッサからウクライナ西端の都市、リヴィウ行きの鉄道が出発する。
寝台列車ではずっと下段の席だったが、今回は初めて上段の席になる。「リヴィウ行き」の列車ではあるが、なぜかその名前が気になるフメリニツキーで下車することにする。朝4時。まだ真っ暗だ。駅に吹き込む風が寒い。
何か警報があったようで、下車した人々や次の列車を待つ人々は、地下のシェルターで待機される。このような大都市でない駅でも、冷戦時代の影響なのだろう、シェルターのような役割がある。
2月18日、この旅の半年ほど前に、原子力発電所のあるフメリニツキー州で民間のインフラ施設などをロシア軍によるミサイルで攻撃されたとウクライナ国防省が発表していた。その後、この町の今の様子から何かが見えるかと思ったのだった。
その後にも、ロシア軍がこの原発のエリアにドローン攻撃をしかけている。
東北人として、フクシマでの事故を思い出す。ここウクライナでは、1986年にチェルノブイリ原発事故も起きた。
このフメリニツキーの町にはユダヤ人コミュニティもあるのかもしれない。駅で待機する人々のなかには、正統派ユダヤ人の服装の男性数人もいる。
日が昇り、明るくなると駅から外へ出られた。どこへ行くか、何を見るのかも決めないまま町の中心部を目指す。
まだ朝の6時ころなのに、駅近くの軍の施設では、その周りで兵士たちが掃除などをしている。
フメリニツキーの中心部の広場には、悲しいことに数え切れないほどの犠牲者たちの写真が並ぶ。家族からなのか、友人たちからなのか、写真には花やろうそくが備えられている。
ウクライナの国旗の色の花束も置いてある。


しばらく町で時間を過ごしてから駅に戻ると、次の電車が来る。指定のコンパートメントに入ると、3人の男性たちがいる。脚を怪我した軍人、私と同じニューバランスの靴を履いた男性ヴィダリ、そしてびっくりするぐらい背の高いセルゲイ。

下のシートに降りてきたセルゲイは英語を話せる。少しずつ語ってくれる。
その体格からなるほどと思うのは、彼が身長194センチ、元アームレスラーだということ。素晴らしいその腕を触らせてもらうと、以外にも柔らかくふわっとした感触だ。
しかしセルゲイが見せてくれる携帯電話の写真は、彼の町であるマリウポリ。ウクライナ東端の港湾都市で、2022年春の攻撃以来、ロシア占領下になったままだ。そのマリウポリの悲惨な爆撃後の様子が、彼の写真から見える。まるで戦争映画に見えるほど、爆撃で廃墟となった大都市の姿は悲しく恐ろしい。このセルゲイはこの町に妻と息子と住んでいた。爆撃の後、ウクライナ西端のリヴィウに避難している。

普段なら楽しいはずの鉄道旅だが、ここウクライナで鉄道に乗ると、戦争のストーリーは避けられないのだ。
まもなく終点のリヴィウだ。

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