永遠の都ローマ
6月末から7月にかけての「おかみヨーロッパツアー」のnoteも
最終回です。
十分な予習もしないで、迷惑をかけないように、病気しないで、付いて行くだけで精一杯(笑)の旅、とりあえず、スタートしたのでしたが、
毎日が新鮮な感動で、ドーパミンが上がりっぱなし、目をぱちくりしながら、どんだけ刺激をいただき、楽しんだかしれません。
連れて行ってくださった、かくさんことKさんのプロデュース力・人間力が大きいのがいちばんの理由ですが、どの街も佇まいの美しさ、空や海の青さ、培われた伝統、積み重ねた歴史的文化力の凄さに圧倒された毎日でした。
45年ぶりのイタリアに入って、急ぎ足で訪ねた各都市は、初めて訪れたのと同じ感激、どこも魅力的で、今もフラッシュバックのようにあの瞬間が胸に響きます。
noteを書くために、写真を選びながら、書き始めたことで、やっと点が線になり、旅の感動を、また再び味わうことができました。
訪れた街で、自分の目で確かに見たもの、身を置いた場所が、カエサルはじめ、年表上の人物が、ここで時代を生きて、感じ、戦い、神に祈った同じ場所であること、その事実を思うと戦慄するほど興奮したこともまだからだに残っています。
歴史に学び、歴史を生きるわたくしたちの人生の重み、このことを深く感じることのできた、かけがえのない旅だったと思います。
フェロ・ロマーノとコロッセオ
ロムルスとレムスがローマの建国者になった時の地域、パラティーノの丘の北に広がる地域がフォロ・ロマーノと呼ばれ、古代ローマの遺跡が数多く残っています。
いくつかの戦争を経て、フォノ・ロマーノは、ローマが都市国家として発展し、城壁をつくり、神殿がつくられ、水道をつくり、政治や商業の中心となるフォロ(現代の「フォーラムの語源」)でした。SPQR(元老院とローマの人民)というローマの略号が登場します。
ネロが皇帝の時に未曾有の大火に襲われて、ほとんどの家屋が全焼したけれど、人家が密集しすぎていたフォロ・ロマーノの区画整理の機会として再整備をして、それが今見ている、フォロ・ロマーノのたたずまいの原形を
つくっているそうです。
ローマの建国の歴史が形づくられた場所、ポンペイウス、ユリウス・カエサル、オクタウィアヌス、アントニウスという歴史的な人物が、この場所で、歴史を動かして時代が変わって行ったことにも、感動を覚えます。
また、80年には、皇帝ティオゥスが大闘技場コロッセオをフォロ・ロマーノ地区の東側に完成させました。
ヴァチカン美術館
ヴァチカン宮殿内にある20以上の美術館の総称。イタリア美術の膨大なコレクションを誇る世界屈指の美術館。16世紀初頭に、ヴァチカン教皇ユリウス3世がベルヴェデーレ宮殿の中庭に古代ギリシアの彫刻群を置いたのが始まりと言われます。
なかでもいちばん有名なシスティーナ礼拝堂は、写真が撮れません。
所蔵作品の中でも、ミケランジェロの『最後の審判』
天井画の同じくミケランジェロ『天地創造』には、感動で言葉がありませんでした。
ラファエロの間
マティスの部屋と現代美術
終わりに
イタリアの街のレストランで会った働いている人たちは、ほとんど移民の人たちでした。
家族を愛し、養って、堅実に働き、英語はツールであって、多少どうであっても(笑)通じなくっても、そんなことちっとも気にしないで、ジョークとユーモア、笑顔と明るさ、毎日を楽しく生きること。
コロナもなんてことない、イタリアの街で楽しむ人たち
全くと言っていいほど、日本人に会わない時期でしたから
コロナ禍の閉塞感がまだあった日本を飛び出して、
この明るいローマの人たちの輪の中にいることは
自由で、伸びやかで心が解放され、元気をもらいました。
ローマで『おかみ丼々和田』は?なんて、地元の人とジョークも飛び出す、楽しい時間でした。
「暮らすように旅する」こと、いまは「旅するように暮らし」ていますが(笑)これが心のテーマです。
旅は「そこに誰がいるか」「誰に会えるか」で
風景や、歴史的建造物も、食べ物も、より自分に近いものとなり、輝きを増し、次の一歩や、日常のエネルギーになっていくのではと。
人生も、どの旅も一番は「人間の魅力」
「人間力」ではとしみじみ思います。
思いがけない旅、誘われたら行く。迷ったら行く。いつかはない旅。行ったら歩く。そこには、、、
そんな旅に連れて行ってくださった、かくさんことKさんに心からの感謝を。
ご一緒してくださった皆さんと、
整理のつたないnoteにお付き合いくださった皆さんにも感謝します。