おかみ三銃士とコロナその1
2019年12月に中国武漢で発生したCOVID-19は、世界中に蔓延しました。
日本は2020年3月下旬以降、感染者が急激に増加し、4月からは、店を閉めざるを得ない事態になってきていました。
愛の応援チケット
3月の最終営業日、お客様のゆみこさんが、すぐに「前売り応援チケット」を皆さんに呼びかけなさいと店にいいに来てくれました。
飲食店は、毎日お店を開けて、お客様が来てくだされば、回っていればなんとか食べていける自転車操業です。
それを閉めないとならないとなるとどうなるのか?
開店以来、一度も自分の私用では、入院でしか休んだことがなかったので、それは想像がつかないし、恐怖でした。
その夜のうちに、応援お願いページを立ち上げ、呼びかけたところ、思いがけないたくさんの前売り応援チケットをお買い求めいただきました。
なんてことでしょう。
お振込み頂いたことを確認するたびに、胸が熱くなり、これまで味わったことのない、体の深いところから湧き上がる感謝の思いに、自分がかえられていくのを実感していきました。会えなくても、お店に来ていただけなくても、こんなに底の広い応援団がたくさんいてくださったなんて、その事実とみなさんの熱い応援に胸がいっぱいになり、頭の下がる毎日でした。
しかし、繰り返す緊急事態宣言のため、ご来店いただけず、3月末の最後のイベントで、お弁当方式にしたところから、これを売ればいいと、値段も決めてくださり、
『おかみのお弁当』を始めました。
おかみのお弁当
ちょうど、いつも取り寄せる、京都西山の筍の出始めで、少しでもいつもの味をと、おかみの定番のおばんざいを詰め込みました。
ZOOMイベントも
緊急事態宣言が、あけても、閉店時間が限られるので、ゆっくりたべていただけない。
そしてたくさんのお皿が使えない、などなどを考えて、店内で食べて頂くのも、お弁当スタイルでイベントもしました。
よく皆さん、今から思えば、おかみを応援しようと、この時期に、お酒もノンアルコールの時や、アルコールも時間制限の中、そしてお弁当でのご提供も、了解して来てくださったと改めて感謝の思いが湧いてきます。
お弁当箱のサステナビリティ
テイクアウトのお弁当もたくさん注文いただきました。
お弁当箱がいいものなので、もったいないからと、交換式にしました。
毎週買ってくださる方もいて、次回持って来てくださると200円割引にしました。
そのうち、預かりのお弁当箱が増えすぎて、もう置けなくなり、途中で中止せざるを得ないうれしい悲鳴でした。
なんと言っても、店内も人を入れられず、ひとりオペレーションなので、
最高20個までが限界で、
立ちっぱなしで、一度も動かない毎日でした(笑)
お酒の限定販売も
期間限定で、お酒の販売許可を取りました。
これは画期的なことでした。
お弁当と一緒にお酒もお買い求めいただけるようになりました。
おかみの店で飲んでいただけるお酒をおかみの味と一緒にお家で楽しんでいただけるようになりました。
いつもお願いしているお酒やさんの申し出で、お酒を一本買ってくださることで、配達地域にお弁当を配達してくださいました。
特別に期限限定でお酒も売ることができました。こうして写真で振り返ると、コロナ禍は東京近郊の県、あちこちから車でも自転車でも、電車でも、遠方からもクーラーボックス持って買いにきてくださいました。お客様の愛が思いっきり詰まった時間でした。
おかみの味お届けします
その次、始めたのが通信販売です。慌ただしい、世の中の動きに対応して、お客様や、酒屋さんからも強く背中を押していただき、HPを改定して、ここから注文ができるようにしたり、お知り合いにイラストを描いていただいたり、これまでのご縁のある才能あるみなさんに、たくさん助けていただきました。まさか、添加物・保存料のない、おかみの味が通販になるなんて!!
毎日たくさんのご注文をいただきました。ひとりで作って、冷まして、パッキング、クール宅急便にセッティングして、自転車で宅急便のセンターまで。
特に、地方に住む、ご両親に届けたい、父の還暦祝いで家族のZOOMパーティのために、それぞれに日本酒とおばんざいをセットに送って、などなど、
いろいろなご要望に合わせたおかみの味を全国にお届けする機会をいただきました。
年末に近づき、それでもまだご来店いただけず、チケットを使っていただけないお客様には、年末までのご都合を伺い、最終的には、はじめての御節セットでお届けし、買っていただいたチケットをほぼなんとか使っていただくことができました。
お客様との絆
コロナ禍は、開店してから、これまで9年間、さまざまな形で、出来上がって来たお客様との絆、ご縁が一気に形を変えておかみ応援団となってくださったことが一番大きなことでした。
口には出さないけど、何回も何年も、そして、何度もおかみの店が潰れないようにと、通って、そして、紹介して、いろいろなイベントにも参加し、ご自分でイベントを立ち上げてくださったり、密かに、陰でも、本当に助けていただいたお客様は数しれません。その方達あってのおかみ丼々和田がありました。なぜ、そんなにおかみを助けて思い通い続けてくださったのか、をこれから紐解いてまいります。
その形がより明確になったコロナ禍、
「僕たち三銃士」と堂々と公言し、突然現れてくださったのは、本当に画期的なことでした。
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