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愛着障害を乗り越えるまで〜思春期の恐怖

↑前記事‎🤍

思春期編の前に書き忘れた事🤣
私は小1の時に【髄膜炎】になり高熱40℃越えが続く中 病院へ連れて行ってもらえたのは1週間後の事でした。

食べる所か水さえも吐いてしまい意識が朦朧としていたような夢なのか現実なのか わからない高熱
【水さえ摂取できない🤣】
という危機的状況。

頭の上にはゴミ箱(ゲ○用w)
が置かれ続け ようやく母が病院へと連れて行ってくれ 医師に怒鳴られる母を朧げに聞き即入院🤣

何とか蘇生しましたw

医師曰く これ以上 ほっといたら命の危機があったそうで。

骨髄に太い注射を打たれたのが し○ような痛みだった事だけ覚えとります🤣

ですが さすがに命の危機と怒鳴られた母は
私が退院するまで毎日24時間 一緒にいてくれました。

少しずつ回復していく中で飲めたのが
母が売店で毎日買ってきてくれた
【フルーツミックスジュース】
紙パックの小さいやつですね😊

一生忘れない味と愛。

。。。それにしても神様とは簡単に し○せてくれませんね🤣
そして相当 悪運の強い私に今や笑い話🤣

本当は。。。

「怖かった」
「苦しかった」
「悲しかった」
「辛かった」

何がって まだ意識が朦朧としていない時に
母に言っても
「寝てれば治るわ‎🤍」

と言われ 水さえ吐き続け何も摂取できなくなる私を見ても放置された事が

悲しかったんですね。

とはいえ怪我の功名という名の🤣
母と24時間 一緒に居られた入院は私にとって
安心感と愛で満たされていたんです。

で 思春期に入り
小4の時に両思いになれ付き合った?
男の子がいました。

私は背が低く万年 1番上〜♬(Creepy Nuts)ではなくw
1番前。

現在も146cmしかないですね。
(ヒール履きますから いいのですがね けっ)

ただ当時は い○め とまではいかなくても
男の子たちに 「チビ チビ」言われ
めちゃくちゃ泣いてましたw

それを助け続けてくれた男の子Tくん

なつかしいな。毎日コソコソ一緒に帰っていました。
そっと手を繋いで。

(まぁ あっという間に みんなにバレてからかわれたのですが)

そんな優しくて甘い時間。
とても不器用な男の子だったなぁ😊
優しいけど ぶっきらぼうでツンデレだった😊

そんな優しく温かい日も長くは続かず
お付き合い?して3ヶ月後にT君は引越してしまい
自然消滅しました。

えぇ めちゃくちゃ泣きました←泣き虫w

ただ本当に心満たされる温かい日だったなぁ。
Tくんが幸せでありますように🤍

きっと今頃はパパになってるね🥰

勝手に ありがとうって思っています。

さて小5になり身体が幼児から大人へ向かう時期
(まず胸が出てブラジャー必要になりますよね)

その頃から父は暴○以外に 性○虐○まで
始まってしまい
。。。これ真剣に話すと たまにフラッシュバックするので あんま話したくないのですが

まぁ小1の頃から父の性○理させられてましたが。
小1では意味がわからず
ただ男性のモノを触らせられるという

ちょっと何してるのか わからない←サンドイッチマン状態🤣

でしたが さすがに小5になり見た目だけ母に似ている理由で胸やらなんやら触られ お風呂を覗かれ

「きゃー!のび太さんの えっちー!」

でお馴染み しずかちゃんのようだったらよかったけど そんな悠長なもんではなくw

ひたすら気色が悪く逃げ回るのに必死という
(自分が女に生まれた事を呪ったよねw)

料理や洗濯や掃除など小2辺りから少しずつ覚えはじめ

(母がいないので出来なきゃ命の危機🤣
隣人の おばちゃんの差し入れも毎日とはいきませんし)

洗濯は もちろん自分でしてましたが
問題は洗う時と干す場所とクローゼットです!

いない間に さっさと回し干せないので
アイロンで乾かし←乾燥機なしw
間に合わない時は濡れた下着を身につける。

下着をしまう所は学校に持っていくトートバッグに入れて学校に置き1日分だけ持ち帰る。

お風呂は時短の為(恐怖で頭いっぱいw)
常にロングヘアだった私は洗面台で髪を急いで洗い 5分でシャワーを済ませ
湯船には ほぼ浸かれなかったな(汚っ🤣)

そこまでミッションクリアしても
最終ミッションは寝る時。

熟睡なんて できなかった。
母いないし🤣

しかし寝なきゃ人間 し○ので
ウトウトしてしまうと父が私の布団に入ってくるのです。

父の手の感触 息使い。。。
本音は ひたすら怖かった。

なんですが最後まではされてません!←威張れる事なのか🤣

ね。
特段 美人なわけでも かわいいわけでもなく
いたって普通の女子
というか なんなら芋だったしw

母は童顔で可愛らしいけれど
私は普通だと思う(地味でしたしね)

そんな事 恐怖に怯える毎日が続き
中学生に上がった私は我慢と恐怖の限界がきて

母に助けを求めました。

でも
母は「ソレ」を知っていたのです。

。。。知ってた?
母は平気だったんだ。
私が恐怖でガタガタ震えている事も泣いていた事も。

母から返ってきた言葉は

「あなたさえ我慢してくれたら丸く収まるの‎🤍最後までされてないんでしょ人生勉強よ‎🤍」

全く悪びれもなく あたかも思いやりのように放たれた言葉は

(まぁ母はド天然の破天荒タイプだから仕方ないw)
↑と今でこそ思いますが当時 多感期 思春期 真っ只中な私には

どん底の奈落の闇に落ちたような
心が割れたような
ガシャーンて音がした気がするw

絶望の淵を彷徨い
自分しか自分を守れないと涙を飲みました。

だけど
母には わかってほしかった。
助けてくれなんて言わないから
辛かったね 怖かったね
って その心だけでいいから

欲しかったんです。

続く‎🤍




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