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転校経験あり、アラフィフ女性の友達の定義

幼少期に転校経験がある私。青春時代に暗い影が落ちたこともありますが、それを経て、今の友達の定義を考えてみました。あくまで私の事例ですが、長ーくつぶやいています。

かれこれ30年以上前の話になりますが、私は父が転勤族だったため小学校3校、中学校2校をまわった転校生でした。

小学校は3年生に上がる時と6年生に上がる時の2回引っ越し。中学校は中3の6月に引っ越し。県をまたいで、地方をまたいでの移動だったので引っ越してしまうと前の友達には会えない、そういう引っ越しでした。

特に小6、中3の引っ越しは卒業に向けて友達とも仲が濃くなってきた時期にお別れ。新しい学校では既に仲が濃い中に溶け込むのが子供心に面倒だったり辛かったりした思いがあります。

女子なので、その年代は女子同士のグループ問題もあって、厄介だなという想いに拍車がかかっていました。

自分自身も思春期で、今思えば多感な時期。転校先では卒業に向け最後の様々なイベント、運動会や合唱祭など、いろいろある中、仲間外れにされたり、それを見て優しく声をかけてくれる友人もいたり、悪いことばかりではなかったけれど、どうしても新しい友人たちとの壁は感じずにはいられなかったのです。

「私がいなくなっても悲しむ人はいない」「前の学校のみんなは私の事なんてもう忘れている」と卒業式に向けて毎晩毎晩こんな考えばかり浮かび、とにかく悲観的に過ごした時期でもありました。振り返ってみると本当に暗かったです。

そんな時期を過ごしてでた私の中の結論「一生モノの友達なんていない」

ずーっと仲良くしようね。ずっとずっと一緒だよ。仲良くなるとこんな心地良い言葉を交わしがちですが、そういうことばは全部嘘!いつかは別れが来て、別れたらもう私の事なんて忘れる。信じられるものなんてない。

学生の頃の私の中の「友達」の定義。ところが就職を機に若干定義が変化していきます。

就職するときにも私は引っ越ししました。これまた縁もゆかりもない土地に両親が家を構えてしまい、一人暮らしという選択もあったかもしれませんが、学校卒業という大きな節目だったということ、私の中に友達絶対主義がなく両親についていく選択肢が自然だったということ。実家から通える場所で就職します。

すると、私の周りにすっかり学生時代の友達はいなくなりました。働き出してもちょっと会って話をすることすら、やりたくてもやれません。

ところが自由に使えるお金が増えたことで、時々会えるようになりました。会いに来てくれることもありました。お金が使えるようになってからの友人関係はスパッと途絶えることなく、細々繋がっていけました。

やがて携帯電話が普及し始め、SNSで繋がれるようになりました。

繋がりを辿ると、交流することはもうなくても、ごくまれにもっと懐かしい友人の名を目にすることもあります。

多分、転校しなくても、ご縁のない友達は自然と別れて会わなくなる。距離的に会えなくなっても、会いたいなと思う友達は何となく思い出されたり、運がいいとSNSでまた繋がれる。

繋がりは糸のように細いとしても、ただ居てくれるだけでいい。そんな風に感じるようになりました。

実際、相手が私の事を覚えてくれているか、それはもうどうでもよくて、ただその時期を一緒に過ごして、同じ経験をした。私の中に暖かい思い出として残っている。

それをそのまま鶏の卵のように温め続け、時には自分の都合の良いように美化してしまったり。アラフィフになっての友達の定義はそんな風に変化しました。

「友達はずっと一緒にはいられないけれど、完全に忘れることはないし、何かの拍子で思い出して、心があったまる」今はそんな定義になっています。

もう会うことのないだろう友達との思い出を振り返る機会がこのところ続いたので、つぶやきに近いnoteをかいてみました。

私の子供たちは転校したことはありませんし、転校する予定もありません。そんな彼女たちの友達関係に私はうまくアドバイスができないけれど、いつか温かい思い出として記憶に残ってくれるよう、暗いお母さんですが見守っいきたいと思っています。

お読みくださりありがとうございました。



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