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子どもの「躓き」は育児の失敗なのか?

我が家の子どもたちは来年には二人とも高校生になります。仕事をしながら子育てをしてきましたが、ようやく手をかける育児も終わりが近づいてきた気がします。

我が家はそれはそれは反抗期が大変で、納得の行かない大人の行動や発言に拒否反応を起こしました。反抗は「親に対して」ではなかったのですが、本人たちも自分で理由が分からない苛立ちや体の不調を抱えました。

良かれと思うことが全て裏目に出る

子どもが小さいころは「転ばないように」手を引いたり危ない場所では前もって声掛けをすることも可能でしたが、親の心配や声掛けは反抗期には受け入れがたいものなのですよね。

「良かれと思うこと」が全てうまく行かない時期もありました。私が思う「良かれ」ってなんだったんだろうと思うことも多々ありました。

学校には行かない。

それを親としてどうやって受け止めたらいいのか。
子どもを学校に行かせるのは親の義務。では行かないのを認めるのは何?
子どもの意思を尊重したとしても、次にどこに向かったら良いのか想像がつかない、そんな時期もありました。

「うちの子は失敗」という言葉に反応してしまった

気が付けばそんな時期は乗り切って、自分の意思で自分の責任で行動する場を選び、次第に反抗期も過ぎ去ってしまったような気がします。

親としたら「こうすればいいのにな」と思うことも、ひとつの意見としてだけ伝えるようになり、基本的には子どもたちの意思に任せるようになりました。放置しているようにも見えますが、子どもたちから「提案」もありますし、「許可」を求めることもあります。

あとは自分の意思で将来を決めたらいいけれど、自分の人生には責任をもちなさい、というのが私の今の思いです。経済的な協力がいる場合は先に知らせてね、と。

そんなときに、お子さんが学校を中退されたという方から「うちの子は失敗して・・・」と言う話を聞きました。その言葉に小さくショックを受けました。

壮大な転倒ばかりだけれども失敗ではないと思う

世の中は普通に学校に行って、普通に進学して、普通に就職して、という道から外れると「失敗」と思う傾向があるのかもしれません。

子どものことを失敗と思っているわけではないと思うのです。育児を失敗したという意味でそう言ったのかもしれません。

良かれと思ったことが裏目に出た。そんなことはたくさんあるけれど、良かれと思ったのは親の愛情。うまくいかないこともあるけれど、それは失敗ではないと思います。

逆に育児の成功って何?

きっと、それは子ども本人が将来感じることであって、社会的に成功した人でも嫌だったと感じることはあるかもしれないのですよね。

躓いたことが役に立つ生き方であってほしい

私自身は学校生活に躓いたことはあまり無かったのですが、就職活動の時に「女性の設計者はいらない」と言われ不採用が続きました。

確かに就職氷河期でもありましたし、少ない採用人数であれば男性を採用したいというのも理解はしていました。

でも、独立してからは、その「女性の設計者はいらない」を「女性の設計者だから必要」に変える努力をしてきました。おかげで今では女性だから設計を頼みたいという依頼がほとんどなのです。

子どもたちにもその経験は伝えています。いつか彼らが躓いたことを糧に自分の道を切り拓いてほしいと。でも一番の問題は、彼らはそれほど躓いたと思っていないことですね(笑)自分の生き方は自分で決める。そう思えるならそれでいいかなと。

彼らがどんな道を切り拓くのか。私はとても楽しみです。

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