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亡き師を偲ぶ
こんばんは、もこみです。
今日はお茶のお稽古に行って来ました。
茶杓の銘
お茶をされている方はよくご存知だと思いますが、茶道の点前において、抹茶をすくう小さな匙を茶杓と言います。
お茶会で使われるような茶杓には、その作者がつけた「銘」があり、茶杓を収めている筒にその銘が記されています。
しかし普段のお稽古ではお稽古用の茶杓を使うことが多く、取り合せを勉強するためにも、季節や道具組みに合わせた銘を自分で考えるのもお稽古の内とされています。
そして、今日私が選んだのは「面影」という銘。
面影
お盆が近いこの時期よく使う銘ですが、まずは「面影」という言葉の意味を見てみると、
1 記憶によって心に思い浮かべる顔や姿。
2 あるものを思い起こさせる顔つき・ようす。
お盆は、亡くなった方の霊があの世からこの世へ戻ってくると言われています。
亡くなった方の在りし日の姿を思い出し、偲ぶ。
そんな思いから、お盆やお彼岸の時期に、茶杓の銘としてよく使われます。
私もこの時期になると使っていましたが、最近その思いに変化がありました。
突然の訃報
私はこれまで何人かの先生についてきましたが、一番長く教わった先生が一昨年の夏に亡くなりました。
学生の頃からお世話になっていましたが、結婚を機に地元を離れたことで、物理的にお稽古に通うことが出来なくなり辞めざるを得ませんでした。
その後もお茶会の度に声を掛けていただき、年に一度はお手伝いに行かせていただいていました。
そんな先生の突然の訃報を聞いたのが、一昨年の夏。
コロナ禍の最中、内内での葬儀ということで、最期のお別れも出来ないまま。
正直今でも信じられない気持ちがあります。
先生の面影を偲ぶ
昔、ある著名人が「お墓の前で手を合わせなくても、亡くなった人のことを思い、その人との思い出を思い返すことが充分供養になる」というようなことを言っていました。
いまだに、ふとした瞬間に先生のことを思い出し、もう二度と会えないんだと哀しくなる瞬間があります。
それほど私にとっては、大きな影響を与えてくれた大事な存在でした。
先生の訃報を聞いて以来、私にとって「面影」という銘が重みを増しました。
ただの知識として使っていた銘が、実際に特定の人を思い偲ぶことで現実味を帯びたということでしょうか。
コロナ&日々の忙しさにより、先生のお墓にお参りすることはなかなか叶わないかも知れませんが、日々の生活の中、お稽古の中で、亡くなった先生の姿、教えを思い出しながら、変わらずお茶を続けていこうと改めて思った今日のお稽古でした。