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たとえマイノリティでも

今回は、海外受験者がほとんどいない地方の進学校から、海外受験をする中で、私がぶつかった壁を全て包み隠さずにお伝えします。その環境でマイノリティになるのは本当にきつい、ただその分、とってもとっても強くなれる。海外進学したい人はもちろん、諦められない夢を持つ全ての人へ。

自己紹介

熊本のとある高校から海外大受験しました。
・アメリカのリベラルアーツカレッジ:12校受験→6校合格(奨学金付き)
※奨学金給付額:3万ドル~4万ドル(390~520万円)、自己負担額:2万ドル~3万ドル(260~390万円) /1年あたり
・カナダの総合大学:3校受験→全落ち
と同時に、日本の大学をAO入試で受験しました。(日米併願)
・SILS(早稲田大学国際教養学部):不合格
・APU(立命館アジア太平洋大学):合格

壁その1ー分かってもらえない

「なんで海外の大学に今(高校卒業後)、行く必要があるの?」

これはずっと先生や両親から問われ続けてきたことです。これを問われる度に、「日本の大学だったらどこ志望しても何も言われないのに。」「なんで海外の大学を目指す時だけ理由がいるの。」と半分怒りを覚えていました。だって当時の私が海外大を目指した理由は、"海外への憧れ"しかなかったから。

でも今振り返れば、この問いに真剣に向き合ってきたことで、自分の内なる声を言語化できるようになった気がします。
まずは自分がありたい姿を思いのままに描きました。その在りたい姿を実現するために、自分が人生を通して成し遂げたいことは何か。それを成し遂げるために、高校卒業後にどういう進路を取るのが最適なのか。それが海外大に進学することなら、そこの大学のどの点が自分にとって最適なのか。受験を目的化するのではなく、人生という長期スパンで考え抜きました。そして先生や親にも、長期的に訴えかけていったのです。

これらの自己分析の過程で、素直な気持ちを最優先して、どんな時でも”自分だけは自分を分かってあげる”ようにしました。
最初は憧れからで大丈夫。

壁その2ーそして、信じてもらえない

これは「自分が自分を信じてあげられない」ということです。
ずっと自分の中で思い込んでいたのは、海外大進学は"逃げ"であるということ。自分の高校では、難関国公立大を受験するのが王道ルートであるがゆえに、私は海外大を受験することによって、学校の受験戦争から逃れようとしているのではないか、このまま日本で受験をしても良い大学(偏差値が高い大学)に行けないから海外を選んでいるのではないか、何度もそう思い、自分を傷つけてきました。

でも今振り返ると、逃げでも良かったんです。それも立派な1つの選択肢なんです。自分が日本の受験から逃げようとしていること、そのための学校の勉強を頑張れないこと、それには必ず理由があるはずです。
私の理由は、学校の勉強が楽しくないからでした。机上での勉強より、学校外で新しい人と出会って活動する方が楽しかったからでした。

テストや模試対策を差し置いて課外活動をすることは、もちろん学校に理解されませんでした。でも、課外活動を通して出会った、色々な考えを持った友達、好きなことを追求し輝いてる大人の存在が、自分の考えや行動はおかしくないのかも、と思わせてくれたのです。学校という世界がいかに小さいかも分かったのです。そして、学校での正解が必ずしも正しい訳ではないと知ってからは、少しずつ自分を信じてあげられるようになりました。

あとがき

ここまで読んで、少しでも1歩踏み出す勇気が湧いてきたり、挑戦したい!夢を諦めずに追いかけたい!と思ったりしたなら、心の底から本当に本当に嬉しいです。一緒に一歩ずつ進んでいこう、、!!

追記)今(5月2日)、どうしても諦められない海外の大学を追加で受験しています。自分にとってのドリームスクール(夢のような理想の大学)で、昨年の受験期は、自分への自信の無さ(どうせ自分には無理だ…)から受験すること自体を諦めていました。本当はただ、挑戦して失敗するのが怖かった。
それでも今、失敗する覚悟で挑戦できているのは、高3の受験期を通して「やってみきゃ分からない!」を痛感したから。そしてこの1年で、どんな挑戦も応援してくれる沢山の仲間と出会ったから。だからこそ、最後まで自分を信じて、今回のチャンスに全力で向き合います。

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