言葉にできないなら重要じゃないのか。
ふと、自分のやってることが正しいか、意味があるのか不安になって立ち止まる。
そんなことが頻繁に起きているのは、1年後の自分の予定が真っ白だからなのだと思う。
周りの友人は就活をしていて、早い人はもう終わっているというのが最近の私の身の回りであるから、自分だけ取り残されたような、世間知らずのような感覚が私を襲う。
私がしたいこと。
海外の大学院へ進学すること。
アメリカに行くこと。
勉強したいことだってある。ような気がする。
周囲の人々は、
「行って終わりになるんじゃないの?」
「あなたにできるの?」
「その後どうするの?」
「それってあなたの将来に役に立つの?」と口々に言う。もしくは考える。
いや、これは私の考えなのかもしれない。
きっと自分は今自分の幸せが確約されたものではなくて、今から、0から作っていかなければならないという事実に恐怖を覚えているのだ。
でも、そういった心配事は無駄であることも私の心は分かっている。
なぜならそれが将来役に立つのかどうか、うまくいくのかどうかは実際にやってからでないと分からないからだ。
私は無難な道に進んで夢をあきらめるよりは、少しばかり予測不可能で曖昧で意味も分からないけれど自分が今心ときめくものを選びたいと思ってる。
後悔する日も来るかもしれないが、だからといってそれはことを今から私が選択することを選ばない理由にはならない。
十分な根拠と重要性が説明できなければそれは価値がないことなのか。
この問いへの答えは ”No” だ。
やった後でその価値は見えてくる。やる。絶対。