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クリエイターが移住する町、御代田。ここで循環型の暮らしをつくりたい | 後編
60年代には、東京で活躍する名だたるクリエイターたちが集い、コミュニティを形成した御代田町の普賢山落。前編ではその集落のはじまりを紹介した。
後編では前編で聞き役となった『SyuRo』の宇南山加子さんと、プロダクトデザイナーの松岡智之さんにインタビューを実施。
新旧のクリエイターの交流が始まろうとしている普賢山落に、なぜ彼らは移住を決めたのか。
パーマカルチャーとの出会い
―御代田に拠点をつくることになったきっかけは?
宇南山 私も彼も釣りが趣味なので、自然豊かな場所に住みたかったんです。息子の子育てがひと段落するタイミングで、東京にある家とお店、両方移せる場所を探そうと6年くらい前から釣りをしながら候補地を探していました。
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それと同じ頃、東京で一生懸命働いて家賃や税金を払うけど、そのお金の行き先が結局、東京の中だけで循環されてくことがだんだんと腑に落ちなくなってきていたんです。自分のエネルギーをお金に変えるというサイクルじゃなくて、もっと気持ちいいことにエネルギーを使いたいって思い始めていました。そんなときにパーマカルチャーの存在を知って、こんなに理にかなった循環があるんだってことが分かった。いろいろ勉強していくうちに、私たちには循環型の暮らしがあっているなって気づいたんです。生活をしながら、バイオジオフィルター(自然浄化装置)や池を作ったり、循環型の生活環境を作りたいと考え、そういうことを実践できる場がほしいと思っていたんです。
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浅間サンラインにひとめぼれして、絶対御代田がいいって思った
松岡 それで時間を見つけてはいろんな場所を見て廻ったね。
宇南山 森も川も海もあって自然が豊かなところがいいね、ということで、群馬、栃木、山梨、静岡など東京近郊あたりを一通り巡ったのですが、なかなか気にいる場所を見つけられなかったんです。当初長野県っていうのは全然選択肢にありませんでした。軽井沢には、時々訪れていましたが、住む場所という気にはなっていなかったんです。あるとき仕事で軽井沢から白馬に行くことがあって、軽井沢から浅間サンラインを抜けて御代田に入ったら一気に空気がカラッとしたのにびっくりして、心地いい感覚を感じました。空気は美味しいし、景色は素晴らしいし、なんだここは!と。浅間サンラインにひとめぼれでしたね。調べたら川もあるし、海だけあきらめればここ最高だなって。それで絶対御代田がいいって思って、ともさん(松岡)を連れてきたら気に入ってくれたんだよね。
松岡 海はないけれど、太平洋も日本海も車で1時間半で行けるって聞いて、いいねって。もともと標高1000m付近の木々が美しいなと思っていたので、そのくらいの標高にしようと探していました。那須の雰囲気がすごく好きなのですが、御代田でも同じような感覚で、すぐに気に入りました。
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日々の暮らしを楽しむきっかけになるような、セミオープンな場所をつくりたい
―これから御代田ではどんな活動をされていこうと思っていますか?
宇南山 私は東京の下町出身で、これまでずっと地元で活動してきました。もともと下町は職人の街で、ものづくりをする人がたくさんいたのですが、土地の魅力を認知されていなかったんです。リスペクトする職人さんがいっぱいいるし、芸大があるので、美術館や音楽、コルビジェの建築などもあって、蔵前にはアートや文化がたくさんあるっていうことをみんなに知ってほしいという思いで生活デザインの店舗を作りました。自分がいいなって思っていることを隣の人に伝えていくと、その魅力がどんどん広がっていくのを感じて、こうやって魅力ある街は作られていくんだっていう実感もありました。一方、認知されるにつれて大手の不動産が入ってきて古い建物が壊され、替わりにマンションが建ち並ぶようになってきた。自分が街に貢献してきたことは、結果マンションに変えることだったのかなと、悶々としましたね。もっと先に持続性があったり、循環になるような活動と共に、まちづくりをした方が、せっかくこの世に生まれたのであれば、自分のエネルギーを自分が心地いいと思うことに繋がるようにしたいと再認識しました。
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御代田でも、町の魅力は発信する予定なんですけど、特にまちづくりをしようとか、コミュニティをたくさん広げようという気持ちはないんです。知ってはもらいたいけれど、頑張りすぎないっていうか。御代田はリゾート地ではないですし。お店にしても、日々の暮らしを楽しむきっかけになるような、セミオープンな場所になったらいいなって思っています。循環的な暮らしをまず自分たちでやってみて、無理せず自然な形で他の人にとっての暮らし方の提案になったらいいなと。
松岡 誰のためって、自分たちが楽しむがためにやるっていう。
宇南山 人生の中で限られている自分の時間をいかに楽しめるか。自分が楽しく感じなかったら他の人にやさしくできないと思うから。
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普賢山落に導かれたふたり。60年の歴史を受け継いでいく
―クリエイターであるおふたりが普賢山落という場所を選んだっていうのは、何か運命的なものを感じますね。
松岡 実は、普賢山落のことは全然知りませんでした。2019年秋から不動産屋さんに3、4日かけて10箇所以上案内してもらって、気に入ったのがここだったんです。
宇南山 この土地にとても惹かれて、周辺を散策していたら、ご近所さんの建築がどこも素敵で。いわゆる別荘地っていう感じじゃなくて、素朴だけどかっこいい建築が多かったので「ここがいいね」ということで決めたんです。帰ってから普賢山落を調べたら、歴史のある場所だということを知り、嬉しくなりました。
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松岡 やっぱり素敵な場所だと思ったよね。あのとき。
宇南山 知っているクリエイターの名前がいっぱい並んでいて。隣の家は憧れのデザイナーの名前が書いてあるよって(笑)。ちょうど不動産屋さんも普賢山落について調べてくれていて、ここは松岡さんと宇南山さんにぴったりですねって連絡がきたりして。
今、御代田でものづくりしようとしている私たち世代がたくさんいるじゃないですか。今回、澤田さんや足立さんから、60年前に同じようなことをしていた先人たちがいたことを改めて聞いておもしろいなと思いました。無理せず、ここでできることをやっていったら、それが子どもたちの世代にまた継いでいかれるのかな、なんて想像したり。
松岡 その頃にはこのへんの唐松が大木になってるよ。
ー改めて、普賢山落というコミュニティのはじまりの話を聞いて、どんなことを感じましたか?
松岡 僕が御代田町にきた最大の理由としては、シンプルに心地よい環境に身を置いて、そこで気持ちよく日々を過ごせたら良いなあってことなんですよね。人それぞれ心地よい環境っていうのは違うと思うんですけど、現在僕の場合は、土があって、木々や草花があって、薪を作っては火を焚いて、育てた作物でおいしい食事をする、と言っても、そんなにストイックなものではなくて楽しいって思える程度で、ですけどね。
そうした暮らしが生活の中心にあって、時々都会に出て都会ならではの刺激を受けたりするっていうのが今の理想ですね。以前SNSの中で書いたんですけど、自分の中に「心地羅針盤」っていうのがあって、その時々自分に問いかけながら、心地いいだろうなあって思う方に身を置いていくっていうことだけなんですけど(笑)。
人生は限られたものだし、可能性と機会があるのであればより多くの体験ができた方が楽しいですよね。 澤田さんや足立さんの話を聞いても、60年前最初にこの場所に身を置いた方々も僕らと同じようにただただ心地よさに導かれてきて、仲間とワイワイやることを楽しんでいたんだなっていうことを感じましたし、やっぱりそれが人間の本能なのかなって思いました。もしそうなのであれば自分たちの次の世代にも同じように心地よさを求めてこの場所を見つけてほしいし、継いでいってもらいたいなと思います。それまでの間、この空気感を損なわないような暮らし方を自分たちもしていきたいなあと今は感じています。
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ー宇南山さんは、いかがですか?
宇南山 この場所にきて、すぐに言われたことは、『この自生している植物がどんなに美しいか』といったことでした。世の中のどんなことが優れているかと比べるよりも、どんなことが美しいのか。それを共感し合える価値観に触れることができただけでも、ここに来てよかったと感謝しています。
日々のコミュニティや祭りごと、そして子ども達を大切にするということは、私の育った下町でも同様に、大きな共感を覚えました。子どもを楽しく育てながら、季節と共に感じ、身体にいいものを取り入れることがどんなに大切なことなのか。心地いい事柄を取り入れたり、趣味をしたり、自分たちが気持ちよく生活することで、心を大きく保ち、万物の感謝にも繋ぐことができるんです。
そして、宇宙の中に存在する自分たちを取り巻く環境は、自然との共存が不可欠であり、人としての五感を研ぎ澄まし、美しいことを美しいと伝え、美味しいことを美味しいと伝える。自分たちの感性を養い、それらの恩恵と共に、地のエネルギーを節度をもっていただくことが、本当に大切だと感じているんです。
この“普賢山落のきまり”には、60年も前にもかかわらず、そのことがちゃんと書かれていました。求めるものは新鮮な大気と人工の手の伸びない自然と静寂な環境、そして出来ることなら素朴な人情です。人間の本来そうであるべきだと思う生活をすることで、宇宙のつながりを感じながら、自分の感性を養うべきだと。
私は松岡と共に、この普賢山落の糧を繋ぐ役割ができたらと、改めて思いました。デザインをしながら、無理をせず、次世代に継いでいけるような丁寧な暮らし、そして未来に向けた意味のある暮らしの提案をしていきたいと思っています。
あえて、この場所だからこそ。
宇南山加子さん
1999 年 宇南山加子が代表となり、SyuRoを設立。デザイン会社として、他社製品の企画やプロデュース、ホテルやレストランなどのディレクションなどのデザイン事業を主として活動。また日本の伝統や職人さんの技術また福祉施設と協働しながら、自らのフィルターを通して、日常のオリジナルブランドを卸販売して、世界各国で展示会を行う。
素材感を活かし、シンプルながらも、日常と非日常、洋と和などの相対する狭間での空間ありきの提案を得意とする。東京蔵前にて直営店とギャラリーの運営をしながら、空気感を含めてトータルな生活デザインを伝えている。御代田では、インテリアを中心に、心地よい暮らしや空気を提案できる場所を計画中。
松岡智之さん
プロダクトデザイナー。1992年千葉大学工学部工業意匠学科卒業。1992年から1999年まで株式会社GK設計にてプロダクトデザイナーとして勤務。1999年から2001年までデンマーク王立芸術アカデミーデザイン科に留学。デンマーク留学中より、フリーランスとしての活動を始め、2001年帰国し「トモユキマツオカデザイン」を設立。独立後は、デンマークでの生活から感じた心地よい生活空間や暮らし方などの実体験を活かし、シンプルで美しく、人に優しく永く愛され、暮らしに馴染む、そうしたプロダクトを目指し、家具デザイン、プロダクトデザインを中心に国内外の企業との商品開発に携わる。
前編「クリエイターが移住する町、御代田。普賢山落のはじまり」も読む
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(文・写真)manmaru(編集ディレクション)村松亮