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「心の場所」を読んで(『書きおろし詩集』より)

『ASKA書きおろし詩集』が好きで、時々拾い読みをしては色々と物思いに耽けることがある。
その中に「心の場所」という詩がある。こんな場面があった。

手相見に出会った主人公は、自分の手をみてもらうことにした。

そしてしばらく手のひらを眺めた後
「痛み」
と一言だけ言ってレンズを机に置いたのだ

「悲しみ」「喜び」などの感情ではなく、「痛み」。これはどういうことだろう。
そこに現実のASKAさんの心情を重ねるのならば──こちらの心に「痛み」を感じてしまう。

そもそも、手相とは何だろう。
歩んできた人生によって、変化するものなのだろうか。

そうだとすれば、私の手を見た手相見はなんというだろう。
「苦しみ」だろうか。いや、「怠惰」なんて言われるかもしれない。
客観的に見た自分、というよりも、自分の芯にある自分とでも言うべきか。

「自分はよくやっている方だ、もし他の人が自分に成り代わったとして、同じようには生きてはいけまい」などと心の中で嘯く。

それでも、心の奥底に残る言葉は、「怠惰」。

自分に厳しいと言ったら聞こえはいいが、所詮自分に対する諦めの上に甘んじてるだけなのだ。

誰も皆、そんな後ろめたさに見て見ぬふりをして生きている。
そんなもんだろう…か?

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