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「明け方の君」を聴いていて、『めぞん一刻』を思い出した話。
なんだこのタイトルは...
曲の解釈を考える上で楽しいのは、「これは表側はこういう意味だろうけど、裏の意味もあるんじゃないか?」、「こういう解釈をしてたけど、こういう捉え方もできるのでは?」など何パターンも想像することだ。
絶対こういう設定に違いない!というものはなく、故にいろんな人の曲の解釈を見聞きするのが好きだ。
そういう訳で、こういう解釈もできるのでは?ということを『めぞん一刻』を引き合いに考えてみた。
(自分が好きなもの同士を関係ないのに絡めて考える癖があります。悪しからず...。)
『めぞん一刻』の思い出
懐メロと同じく、懐マンガ(?)にも興味がある私、特に「めぞん一刻」が大好きです。
作者は高橋留美子さん。うる星やつらと同時進行で連載されてたそうな。
昔、両親が古本屋で懐かしい漫画をどっさり買っていたのだが、『めぞん一刻』はその中のひとつだった。
当時小学生だった私は、何気なく読んでみて綺麗な女性・響子さんに一目惚れ(注・女です)。
以来響子さんは私の永遠のマドンナ。スポーツも勉強も何でもできる系の男の子に憧れることが多かった私は、高嶺の花の響子さんを追いかける五代くんに共感したものだった。
「明け方の君」を聴いていた時、そんな『めぞん一刻』のひとつの場面を思い出したのだ。
「君」の現在
「明け方の君」を聴いていて気になるのは「君」の現在である。
この曲の登場人物は「僕」「彼女」「君」なのだが、現在進行形として描かれているのは「僕」と「彼女」のみである。現在進行形の「君」については描かれていない。
曲の内容は「君」を忘れられないということで一貫しているが、これはあくまであの頃の「君」。
もし付き合っていた頃とは変わってしまった「君」に再会したとしたら、「僕」はどうするんだろうか。
大きなショックを受けるかもしれない。
でも場合によってはその方が楽になれるんじゃなかろうか。
「もう僕が付き合ってた頃の君じゃないんだね...。お互い新しい恋を始めよう。」
そんな風に気持ちを切り替えるきっかけになるかもしれない。
何にせよ、この曲においては幸か不幸か今のところそのような機会はないらしい。
女性の恋愛は上書き保存、男性はフォルダ別で保存、なんて言うけど、男性というのは新しい彼女が居るのに、現在進行形ではないあの頃の「君」にそこまでこだわるものなのか。じゃあなんで新しい彼女を作ってしまうのだ。罪作りな男だ...。
そんな風に考えていたところ、ひとつのフレーズに行き当たる。
彼女は僕の中の君までも愛せる人
はい、ここです。
(出典:高橋留美子『めぞん一刻 (15)』小学館)
かいつまんで説明すると、こちらの女性・響子さんは若くして夫・総一郎さんに先立たれた経験がある。
その後、こちらの男性・五代くんと結婚するに至るわけなのだが、結婚の前に総一郎さんのお墓へご挨拶に向かう。上はその際の独白シーン。
響子さんの中で総一郎さんは生き続けているのだ-。
このシーンを思い出したのは私だけだろうか。
生きている人は現在進行形。日々進化し続ける。
付き合っていた頃の君と今の君が同じだなんていう保証はない。
それでも互いに思い出を心の中で持ち続けるからこそ、時間を前に進めることが出来るのではないか。
しかし、この世にいない人であれば、心の中で生き続け、時間を進めることができないということは大いに納得できる。
それはその存在は現在進行形ではないから。あの頃のままだから。
ふと、思う。
もしかしたら「君」も現在進行形ではない存在なのかもしれない。
明け方の君は あの日の笑顔で
恋人のまま シーツを抱いて
僕の夢にまぎれ込んで遊んでた 遊んでた
「君」は「僕」と離れ離れになったことに気づいていないんじゃないか。
だから君は何も知らない顔をして、「僕」の夢にまぎれ込んでくるのではないか。
この曲のモデルについてはご本人も言及していることなので滅多なことは言えないが、曲の中では現実とは違う設定にするということも有り得なくはない。
ということで、『めぞん一刻』を引き合いに、半ば無理やりそちら側に持っていった解釈をしてみた。
(その解釈でいくとこの歌詞はどうなるんだ?というのは敢えて無視した。(「戻りたい振りをする」「愛せないよ」など))
ひとつの曲で何通りもの解釈が楽しめるから、音楽って面白い。