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「はじまりはいつも雨」と私 〜雨は良いもの?悪いもの?〜

「はじまりはいつも雨」、この曲が生まれて30周年になるらしい。
残念ながら、私が生まれた時は既にこの曲が世に出た後だった。物心が着いた頃には一般的に有名な曲として知っていたので、初めて聴いた時の衝撃などは、リリース時に聴いた人に比べて薄いことは否めない。
ASKAさんが話されていた、短いCMとのタイアップをきっかけに一曲作り上げたというエピソードを聞くにつけても、リアルタイムでこの曲に出逢えた人達が羨ましくてたまらない。生まれる前からある名曲に出会う時ほど、早く生まれなかったことを悔やむことは無い。

だから30年来の思い入れということは書けないが、ASKAさんへのお祝いしたいという気持ち、この曲が好きな気持ちは表現してみたい。
そう思ったので、文章にしてみることにした。


私がこの曲を聴いて感じるのは、癒しであったり、優しい気持ちになるなぁ、ということである。
それはどうしてだろう、というところを私自身の経験と絡めて考えてみた。
この曲を聴いて、そんな風に思う人もいるんだな、と思っていただければと思う。


マイナスの現象としての「雨」

雨と言えば、子どもの頃から雨女と呼ばれていたことを思い出す。
どうも私がどこかへ出掛けるとなると雨が降ることが多く、親や親戚らからからかわれたものだった。
言った方は何の気もなしに言ったことでも、言われた方は長らく心の傷となるのはよくあることだ。
以来イベントがある日に雨が降ると一種の罪悪感を感じることがよくあった。
「どうしてこのタイミングで降るのだろう。また私がからかわれることになるのに。気が重いなぁ。」雨が恨めしかった。
私にとって、雨は喜ばしいものではなかったのである。


プラスの現象としての「雨」

「はじまりはいつも雨」の「君」=彼女もどうやら雨女であるらしい。

君に逢う日は不思議なくらい雨が多くて


同じ雨女としては、彼女に同情する気持ちがわき、まるで自分のことのように申し訳ない気持ちになる。
彼女も恐らく同じように思ったのではないだろうか。
「私と出掛ける日はいつも雨に降られることになって悪いなぁ」と。

しかし、続く歌詞はこうだ。

水のトンネルくぐるみたいで しあわせになる

このフレーズを聴くと、彼がキラキラとした雨に包まれながら、笑顔で車を走らせ恋人のいる場所へ急ぐ情景を思い浮かべる。

彼は雨すらも愛しているのだ。
恐らく雨を降らせる彼女の能力(?)さえも。
彼女を愛しているからこそ、それにまつわる雨という存在も愛おしい、ということだろう。
そこに雨が面倒、鬱陶しいなどというマイナスな考えは毛頭にない。

彼にとって、雨は彼女のもとへと導いてくれる尊い現象なのだ。

雨は素敵な日々を作るひとつのエッセンス


SYMPHONIC CONCERTでの、ショパンの雨だれからはじまりはいつも雨への流れは本当に美しくてうっとりした。
それと同時に、安心したような気持ちがわいた。

それは、「ASKAさんが帰って来られたのだ。良かった。」という気持ちが第一だが、雨が降っても嫌がる人間ばかりではない、喜ぶ人もいるのだと、なんだか雨女としての自分が許されたような気がしたからでもあった。
この先もこの曲を聴く度に癒されることだろう。

自分の所為で大事な予定を台無しにしてしまうなどと考えなくて良いのだ。
雨も、日々の物語を作る、大切なひとつのエッセンスなのだ。
この曲を聴くとそんな風に思わせてくれる。


そして何よりも、「僕」の飾らない優しさと愛情を感じて優しい気持ちになる。
願わくば、すべての雨女・雨男さんの恋人も、雨を愛おしいものと思ってくれるほど、相手を愛してくれるような優しい人であって欲しいと願う。

「雨って素敵なものなんだな。」
この曲を聴いて、そんな風に癒される人がたくさん居るといいな。



最後に...

#ASKA さん、素敵な音楽をありがとうございます。

s.e.i.k.oさん、素敵な企画をありがとうございます。


#はじまりはいつも雨 #発売30周年 #おめでとうございます
#はじまりはいつも雨を語ろう



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