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プルーフプロジェクト 『Proof:A play』をみて


ターナーギャラリーにて3月4日から13日まで上演された『Proof:A play』をみました。この公演は1年ぶりの下平慶祐さん(@calvin0927d)演出作品で、楽しみにしていた以上に楽しみました。


下の画像は、プルーフプロジェクトのクラウドファンディングページより「プロジェクトについて」です。
(このページはキャラクタの相関関係やあらすじが分かりやすくまとめられていて、相関図のキャラクターイラストがとても的確(表情がっ!)で素敵です)

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【英語は分からないのですが】
『PROOF』は英語劇なので、英語が分からないわたしは具体的な言葉は分からないけれど、何を言おうとしているのかは分かる、そんな舞台です。

一般公演の前に日本語訳された学生公演を見ましたし、配布されていたシーンごとのあらすじを読んでいたことも助けになりました。
なによりも、4人の登場人物が何を考えているのかが表情や仕草で丁寧に表されていて、それを見ていると会話の内容が伝わってきます。
そして、滑稽にならないくらいの、それでも顔にかいてありますよと言いたくなるほどにハッキリとした様子は、それぞれのキャラクターがとても魅力的に思えて愛しくなってきます。

例えば冒頭で、父を亡くしたばかりの主人公キャサリンは、自分の誕生日に一人でシャンパンのボトルを空けます。その空になったシャンパンのボトルを、数年ぶりに家へ戻ってきた姉であるクレアが見つけるシーンがあります。庭の芝生に転がっている空き瓶を拾い繁々と眺めるクレアの表情がとても雄弁です。
「誰が飲んだのかしら。お父さんは亡くなったのだから、キャサリン? キャサリンが一人でこの量を? 飲みすぎじゃない? 昔から繊細すぎるところがあるもの。大丈夫かしら……」と、依存症を危ぶんでいるのか、戸惑う彼女の声が聞こえるようでした。

そのあとのキャサリンとクレアの久しぶりの再会シーンでも、揉めごとが起こります。考え方も性格も違う二人の会話は、なかなかすんなりとはいきません。

普通はこうじゃない?というけれど、「普通」が違うもの同士の言い合いに、そんなことは言っていない、勝手に設定をつくらないでとキャサリンは怒りだします。(ずれている会話に笑いつつ、私自身にもある同じような経験を思い出して、ちょっとチクっとしました。)
それから、クレアの都合が悪いことはなかったことにするという大技にうんざりするキャサリン。
ひとのごたごたは部外者(わたし)にとってはわりと喜劇で、二人のやりとりを見ていると笑ってしまいます。

わたしが特に好きなのは、回想シーンに登場するハル(父・ロバートの教え子)の表情です。
シーンはこんなかんじです。

キャサリンは、大学に進学するために家を出ることをロバートに伝えますが、それは様々な手続きが済んでしまった後でした。キャサリンが自分より先にクレアに相談したことに彼は傷つき、二人は言い合いになります。
そこに、ハルが1ヵ月かかって書きあげた論文を持ってやってきます。
二人の喧嘩は収まり、ハルは論文をロバートに渡します。
ハルの労をねぎらったロバートは、一旦論文を預かると1週間後にまた来るようにと言います。精神的疾患をもった彼は、以前のようには的確な判断ができなくなっていたのだと思います。そして今日がキャサリンの誕生日だということに気づき、今まで数字に関することで忘れたことなどなかったのにと、ショックを受けます。
自分の衰えをとりつくろうように、ロバートはキャサリンと誕生日をどこで祝おうか、何を飲もうかとディナーの計画で盛り上がるのですが、そんな二人を眺めているハルの表情が、とても雄弁です。

数学に心酔しているハルは、敬愛する数学者のロバートに自分の大作についての助言なり評価なりを聞こうと意気込んでやってきたのに。
ビールだステーキだと、自分をほって進んでいく誕生祝いの計画に、

「え、僕の論文は保留にしてディナーに行くの?」
「やっと仕上げた論文について、先生と検証できるとおもったのに」
「どれだけ飲むんだ? この人たちは」
「でも、このこはなんだかいいかんじだな」
「9月4日が誕生日なんだー」

みたいなかんじで、会話を聞いては、むくれたり手持ち無沙汰に手をこすってみたり、にやにやしたり。考えのダダ漏れ具合が面白くも可愛くてたまりませんでした。
その後、ディナーに誘われた彼は曖昧に誘いを断って帰ります。ハルは、飲むのは好きでもあまりお酒は強くないんでしょう。はっきりと理由をいわずに断ったのは、酔っぱらったときの自分を想像したんだろうなーと思いました。

【おもてに現れる感情と、壁に映る内面】
舞台美術がとてもシンプルで、壁に貼られたページと、庭のテーブルセット、手入れがゆきとどいていない芝生だけ。それに映像と照明が加わると、いろんなイメージがうかんできます。
丁寧で繊細な演技をみていて言いたいことがわかるように、壁は登場人物の内面を映していて、暖かな暖色の光に嬉しさに浮き立つような気持ちを感じたり、降りしきる雪に凍えたりしました。葬式の夜、ハルの影が黄色く写っているのを見て、影まで酔っ払ってる!と思いました。
壁に大量に貼られたページはキャサリンの才能にも思えて、クレアがキャサリンの才能には叶わないと吐露するシーンで、強い光で浮き上がったページがクレアを威圧していて、なんとも言えない圧迫感でした。

【忘れがちなのですが】
キャサリンは、精神的疾患を患ったのちに亡くなった天才数学者の父から、数学的才能と同時に精神的な気質も受け継いでるのではないかと恐れています。そして、クレアも同じようにキャサリンを心配しています。
不安をどうしていいかわからず身動きできないキャサリンと、心配するために自分の近くへ引っ越してほしいというクレア。そんな二人の硬直を、無神経にもおもえるくらいにまっすぐに「キャサリンはそんなに弱くない」と言って解くハル。
今まで誰にも打ち明けられずにキャサリンが抱えていた自分の気質についての恐れを受け止めるのもハルです。
でも、そんなハルも人格者ではなく、数学に熱中するあまりにキャサリンを傷つけたりする。

ぶつかったり受け止めたりしたりされたりしながら、なんとかこうとかやっていってるんだなあ、だれでも。いい時ばかりじゃないよね。

そんな、言葉にすれば当たり前におもえるのに、すぐに忘れてしまうことを『PROOF』をみて感じました。

言葉がわからなくても通じることはあるし、言葉が通じたって気持ちが通じないこともたくさんあるけど。
ラストシーンで、今まで向かい合うことはあっても隣り合わせにはならなかったキャサリンとハルが隣り合わせに寄り添っていて。理解されなくて不機嫌で不安そうにしていたキャサリンが笑っているのを見ていると、なんだか安心してきて幸せな気分になりました。よかったねって。芝居をみているというよりか、まるで友人の話をきいたようなかんじです。

物語を運ぶための役柄ではなくて、そこにひとたちがいて、そのひとたちの生きている時間がストーリーになっている。だから、友人に会うように何度も会いたくなってしまう。わたしにとって『PROOF』はそういう作品です。

これから、キャサリンとクレアも、いままで空振りしていた手を結んで少しずつお互いを分かったり分かられたりするんだろうなと、カーテンコールのあとのエンドロールみたいな二人の映像をみて思いました。

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枠に収まりきらないキャサリンと、軽快に跳びまわりそうなクレア。

父のロバートから受け継いだ数学の才能、彼がエンジンと例えた才能の中で息づくキャサリンのむき出しの心臓が印象的でした。
そして、浮かれウサギのようなクレアがかわいい!

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こちらは「学生公演」の終演後。残されたカバンが、一人だと思って塞いでいたキャサリンの子ども時代みたい。学生公演のキャサリンは、余計な荷物なんて持たずに手ぶらで世界に飛び込んでいくような、もしくはまだ荷物を持っていないような身軽さを感じました。

芝居が終わった後に、終わっちゃったなと思う少しの寂しさと、見終わった人たちが浮き立つ気配がする時間が好きです。

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といいながら、これは開演前。風が通り抜けると、壁に貼られたページがウエーブのように翻ってきれいでした。

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会場中にいろいろなページが貼ってあって、数式や論証の書いてあるものもあれば、メッセージが書かれてあるものもありました。開演前にあちらこちらのページを読むのが楽しかったです。

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ギャラリーのなかにあったラブ アンド ピースと、ギャラリーの外で見かけたラブ アンド ピース。「外」は右端に鳩がいます。わたしが写真を撮っていると、何してるの?とこちらを気にしながらも、飛び立たない鳩でした。

開演前に、ビリージョエルのピアノマンが流れていて懐かしくなりました。
歌のように集う場所はバーだったり、劇場やギャラリーだったり。
わたしはお芝居をみることが好きで、好きなことがわたしにたくさんの大切なものをくれます。劇場を出たあとに満足した気分で歩くときは幸せだなと思います。
世界、ありがとうっ!くらいのテンションで。

そんなときの、明日も頑張ろうと思いながら見上げた夕暮れ。

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ターナーギャラリーからの帰り道は、空がひろがっていて、スーパーの中のパン屋さんは美味しくて、観劇後の幸せな気分がより増しでした。


【シンクロニシティについて】
以前、下平さんがツイッターで見たいテーマを募ってらしたことがありました。そのときに集まったテーマは、「天才と凡人」「再び繋がる縁」「懸命に生きていく」「それぞれの決めた道を歩む」「帰省」「コート」など。

時期的に、テーマが募集される前にPROOFという作品の上演は決まっていたのではないかと思うのですが、集まった見たいテーマとPROOFのモチーフが重なっていることが興味深いです。

世界の必然なのか、優しい偶然なのか。

いつのことでも、また下平さんの手掛けられる舞台をみるのを楽しみにしながら、『PROOF』楽しかったなと思い出しています。思い出せる作品に出会えるのは幸せです。



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