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真坂雅横浜野外独り芝居『捨て犬の報酬』をみて

四季の森公園へ、真坂雅さんの『捨て犬の報酬』を観に行ってきました。
よかったなぁ! という心持ちを、心持ちのままに。

以前にもいろいろな場所で真坂さんの『捨て犬の報酬』をみたけれども、今回はコロッセウムのような円形の客席に見下ろされるステージです。四季の森公園の野外ステージの写真をみたときに、これは!っと思って楽しみでした。
屋外ということ、くずれるかもという天候も含めて、得難い瞬間がたくさんありました。
30分の上演時間、1800秒の物語ということだけれど、芝居の1秒1秒と物語のなかで生きられる時間の積み重なりがとても重く大切に思えた芝居でした。

ダンボールの中、なぜそこにいるのか、そんな意味すら持っていなかった捨て犬が、盗賊の男と出会ってポチという名前を得る。
名前を教えてくれないから、勝手にダイゴローと呼ぶことにした男と一緒に生きて、これからも生きていくはずだったのに。
約束の待ち合わせ場所に、ダイゴローは来ない。

待ち合わせ場所に、元気よく走りこんでくるポチの表情が、
ダイゴローが来ないと気付いた時の表情が、大きく変わるわけではないのに、楽しみに待っていた約束が果たされないと悟り、捨てられたと理解して、それから時間が、残酷な時間が、長い時間が経つのがはっきりと伝わるのがすごい。

今回ぐさっときたのが、「尻尾なんて切り落としましたよ」というセリフと表情でした。
自分で豊かな感情すべてを切り捨てなければ生きてこれかなった時間を思うと、以前は時間の長さにばかり気をとられて「そんなに長い時間を……!」って思っていたのですが、長さとともに心持ちの凄惨な状況がつらくて。
その辛さをそのままで投げかけてくる表情がすごかったです。緊張して背中がちりちりしました。

それから、ラストシーンの「見ないで」というセリフの妙が!
好きだと叫びたい、自分を戒めていた気持ちを解放する瞬間の葛藤。
ずっと抱いていた願望、もしかしたらという期待、それを知られる羞恥、かつて裏切られたという不信、のこされた自分の時間がぜんぶそこにあって。
そしてポチとしての、見ないでというセリフとは別に、俳優と観客として、公演をしてるのだから、見られるためにいるはずの俳優と見るためにいる観客の自分のあいだにある「見ないで」という矛盾をはらんだセリフに、いろいろな感情がまぜこぜになって、なんとも艶っぽくかんじました。今回ははじめてそんなことを実感した印象深いシーンでした。


予報では降水確率が高かったけれども、大きく天候が崩れることもなく、ときどき雨が手に当たるくらい。
天候を演出することはできないけれども、その時々手に当たる雨の不安な感じが物語とリンクするし、雨に降られるかもと思いながら「雨も降ってきた」というセリフをきく瞬間、物語と現実のシンクロ、空間を共有するということの醍醐味を味わいました。

そんな自然との共演もですが、生演奏の共演も心地よかったです。
ポチの感情のゆれがそのまま音になったように、そっとはいる切なくもどこか眩しくかんじるメロディや、楽しげな音がひろい空間に広がっていくのがとても絶妙に心地よい。

それにしても、捨て犬の報酬、報酬を受け取って捨て犬ではなくなったポチは。
ラスト、自分の声を追うように空を見上げた、見上げたままのポチ。

あのポチのそばで、ダイゴローは何を思っていただろうなと、思い出して考えます。
残される人間は何を思うのか、たくさんのあんな鳴き声が今もどこかであげられてるはずだと、
何を思っていても、それは人間が負っていかなければならないもので
犬はただ懸命に生きるだけ、そんなことを教えてくれる物語でもあるんだなと
これも、今回初めて思い至ったことでした。


今年のポチは、年をとったというより、年月に疲れて汚れたかんじだなと思いました。去年は、子犬のときを残してるなと思いました。
老齢の犬のときもあったし、そういう変化がみられるのも、期間をおいて何度も演じられることの面白みだなと思います。


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