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SNSと距離感

 大概自分は偏りのある人間だという自覚はあるのだが、対人関係の距離感について妙なこだわりがある。現実の人間関係なら環境や価値観が変わって徐々に疎遠になるのはよくあることで、自分から距離を置いたり、相手から距離を置かれたりどちらにしても必要としなくなった(またはされなくなった)のだなということで理解ができる。生きていれば興味関心は移ろうし、その時々に解決すべき課題に必要な情報も変わっていく。またどうにも反りの合わない相手と適度な距離を置くことで心の安寧を得ることもできる。そんなこんなで、私にとって疎遠になることは是も非もなく、ただの現象に過ぎない。疎遠になったとしても長い年月を経てもし縁があればお互いを必要とする展開もあるかも知れず、あくまで現時点の状態に過ぎないのだ。

しかし困ったことに、現実で疎遠になったのにいつまでも繋がったままになっているのがSNSである。向こうから疎遠になってフォローを外されるのはまだいい。必要とされなくなったけれども今までありがとうという気持ちで手放す。相手には相手の気持ちがあり、私の文章をもう読みたくないと思うことだってあるだろう。そう思う気持ちは尊重したい。

ここで面倒なのが現実には明らかに付き合いを避ける態度をとっているのに、SNSで粘着してくる場合である。積極的に避ける態度を取りながらいいねを押したり、あまつさえ親切ごかしのコメントを入れたりする。これがどうにも感覚的に気持ち悪く受け入れられないのである。適当に流して角が立たないようにしておく方が面倒がないのは重々承知なのだが、いかんせん自分の自然な感覚に抗うことは難しい。結局年に一度ほどSNSの友達の整理を行うことになる。

「お前を拒否する」と「お前を受け入れる」という相反する態度が同時に発せられているというわけで、ある種のダブルバインドの状態になっているのだろう。ちょっと考えても分かると思うがSNSでは自分の発言は他の人からも見えてしまう。つまり往来と同じである。対して現実での付き合いは人目につかない閉じられた環境である。SNS上で愛想がよく現実で相手を拒否するという態度はモラハラの恋人やパートナーとそっくりではないか。私にはこの関係を維持することはどうしてもできない。

そういうわけで、段階に応じて制限リスト、友達から外す、ブロックするを適用して現実の関係と近い距離をSNS上でも保つようにしている。この、この現実とSNS上の距離感が一致しているというのが私のこだわりポイントで、非常に快適で気持ちがいい。自分のTLなので自分にストレスがないのが一番である。

こういう人たちは大体フォローを外されたことを被害者のようにいうのだが、そこもまたモラ気質だなと思う。私には受け止める義理はないので、どうか気の合った人たちと楽しく過ごすことを願う。

粘着されやすい人はどうかお気をつけて。

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三好照恵
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