トミージョン手術をしてトライアウトまでの1年間にした事①
初めまして。
琉球ブルーオーシャンズの三吉央起です。(みよし おうき)
1996年11月12日生まれの今年で24歳。
社会人2年目の年です。
球歴
東京都市大学付属高校⇨横浜市立大学⇨トミージョン手術(留年)⇨琉球ブルーオーシャンズ
今回は大学4年でトミージョン手術をして1年でトライアウトを突破する為に僕がしてきた事を書いていきたいと思います。
受ける予定だったトライアウトは
・読売ジャイアンツ
・BCリーグ
・琉球ブルーオーシャンズ
・四国アイランドリーグ
の4つです。
あくまでモデルは僕自身なのでこれの通りにすればプロ野球選手になれることは保証しません。
道筋の一つとして参考にしてください。
ちなみに野球は得意じゃないです
あくまで、僕がこのnoteを通じて伝えたいのは
・運の掴み方
・マインドセット
・人に頼ろう
・トミージョン手術を受けるか悩んでる人に向けて、リアルの提供
この4点です。
その中で僕が感じたことや体験した事を出来るだけ伝えれたら幸いです。
全部を一気に書くと長くてメリハリがつかなくなるので分けて書いていきます。
今回は、トミージョン手術をするまで。
球歴は上で書きましたが、はっきりいって野球エリートとは無縁の球歴です。
高校も本気で甲子園は目指してないし、大学も野球はやりたいけど私立だと試合に出れないけど、国公立なら試合に出れそうという理由と、学費が安いという理由で横浜市立大学を選択しました。
横浜市立大学の野球環境について軽く言っておくと、、、
・専用グラウンド無し(公立高校の校庭クラス。レフトはラグビー部、センターはサッカー部or陸上部、ライトはアメフト部)
・監督は土日に来てくれる(平日は選手のみ)
・マシンない(壊れた、直しても直らない)
・部活は週5(平日・土曜日午前中 日曜午後)
・部員が少ない(僕が在籍してた時は12人《マネージャー含む》の時代もあった)
こんな感じです。
一見すると環境悪!って思う人といると思うけど、その環境を良くするのも悪くするのも結局自分自身!
僕はこの環境でも野球を楽しくできたし、みんなで限られた時間・場所で上手くなるにはどうすればいいか考えながらやってたのは楽しかった!
大学1年は捕手でピッチャーを本格的に始めたのは大学2年の夏から(詳しくいうとキャッチャー首になってピッチャー)
プロを目指すようになったのは大学4年から
そもそも、先輩を見てみても社会人野球に行けるレベルの先輩は沢山いたけど、横浜市立大学の野球部では社会人野球に進むっていう選択肢よりも、就職していい会社に行くっていう選択がベターだった。
僕も大学4年の時まではそのつもりでした。
社会人野球に行きたかったけど、日本ハム(食品の方)とか、IT系にもいきたかったし
さて、なぜこんな僕がプロ野球を目指すようになったか
それは忘れもしない大学4年の春休みのオープン戦。
登板した僕は147キロのストレートを投げていた。らしい(スピードガンはチームにないので、対戦相手が持ってないと自分の球速は分からない)その試合を、監督の知り合いのスポーツライターの高木遊さんが横浜市立大学のグラウンドにたまたま来てくださり、僕のことをネット記事で紹介してくれたことがきっかけです。
https://baseballgate.jp/p/163599/
この記事が僕の人生を大きく変えることになります。
この出来事がなかったら僕はきっと普通に就職していたと思う。
この日を境に金沢八景という辺境の地や神奈川の2部リーグ戦を行う魔境の地にプロ野球のスカウトがちらほら姿を見せるようになります。
僕は単純な人間なので「もしかしたら…?よし!野球でいこう!プロ目指そう!」と就職活動を5月ごろに完全にやめます。
そして、ライターの高木遊さんの紹介でIWA ACADEMYにも通い始めます。
そこでIWAのトレーナーの方々に出会います。
しかし春のリーグ戦でいい結果を残す事が出来ず、更には忘れもしない8月26日のオープン戦で某読売◯人軍のスカウトが視察に来た試合で肘を完全に故障します。(元々痛かった。この試合で完全に投げれなくなった)
人生で1番ショックを受けた出来事です
診察結果は肘の靭帯の機能不全、靭帯が伸びきっていました。
靭帯痛くなるとどーなるの?という人へ
右手でシャンプーや歯磨きができないしひどい時だとドアノブすら回せないほど力が入らなくなります
もちろんボールなんて投げれない
箸で持つのは米が限界
※個人差あり
不貞腐れた僕は自暴自棄になり監督に当たります
「投げさせすぎだ!それでこうなったんだ!」と言い放ちます(最低)
ちゃんとその後は謝って今でも監督とは仲良しです
喧嘩するほど仲がいいは指導者との間でもあると思う
指導者とも意見が言い合える関係っていうのは、いい事だと思います。自主性があるってことだと思う。
だから、横浜市立大学の野球部は学年の垣根を超えてみんな仲がいい。
しかしこのまま終わっていいものか
せっかくプロのスカウトも来てくれるようになったのに!
男なら一回きりの人生挑戦するべきだ!
野球エリートじゃなくても上でやれる事を証明したい!
その未練を捨てきれなかった僕は僅かな可能性に賭け、怪我してから割と早い段階で手術して野球で挑戦しようと決めます。
動機なんてこんなもんでした笑
なんとか親に理解を得て(ここが一番大変だった)引退した後の2018年10月29日僕はプロ野球選手になる夢を叶える為にトミージョン手術を受けます。
そして一年留年してリハビリ期間を設けます
※おすすめの留年方法は卒論は出して、単位を一つ落として留年する方法です
卒論はコスパが悪いので早めに消化したほうが野球に集中できるので、出来たら単位(軽いやつ)を落とすのがおすすめ
ここまでが、僕のトミージョンを受けるまでの簡単な経緯です
次回は実際にトミージョン手術を受けてトライアウトを受けるまでに僕がしたこと、直面した壁、万全じゃない中でどうトライアウトに臨んだかを書いていきたいと思います。
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