国民性とケアの倫理_ボストン福祉レポ Part.5
察する日本、物申すアメリカ
4日目の夜は、郊外のタイ料理屋で、ボストンで障害のある子供を持つ日本人の親の会、BSN(Boston Special Needs)のみなさんと。
みんな日本が窮屈になって飛び出しただけあって(?)、この人数なのに常に会話が混戦、爆裂トークの2時間でした。笑
最も印象的だったのは、アメリカでは「大きな声をあげた人が勝つ」という話。伝えたいことは、言葉にしないといけない、それも大きな声で。個々人のバックグランドが多様すぎるゆえに「くみ取ってもらう」ことは期待できない。
それは福祉サービスの利用にあたっても同じで、「黙ってたらすべて順調 everything is fine と思われる」社会。でも裏を返せば、物申せばちゃんと対応してくれる。支援者が先回りして察し、言外のサインを読み取りながら、いろいろと提案/配慮してくれる日本との大きな違いです。
その文化はもちろん善し悪しがあり、日米両方で自閉症支援をしていた方は、自閉症の人の支援には、言葉の裏にある何かを察しとろうとする日本人の方が向いているとも。
アメリカでは、自閉症の人が反射的に「No!」と言ったら、それがどんな理由であろうと、本人の言葉を字義通りに受け止めて、支援者は手を引っ込めてしまうこともあるそう。「いや、この人には本当はこんな思いがあるはずだ」と食い下がってあの手この手でアプローチする日本人とは違うと。
あくまで印象論ですが、なんとなく納得がいきます。本人の表面上の意思に反した支援を続ければ、裁判を起こされるリスクがあることも一因かもしれません。
移民が支えるケアの現場
そんな文化の中で、娘のNanaさんが通っていた特別支援学校に対して、療育への不満から、まさに裁判を起こし、「ボストン東スクール」 Boston Higashi School という自閉症支援の名門校への入学を勝ち取ったという落合典子さん。Nanaさんが暮らしている、めちゃ立派なGHも案内してもらいました。
ちなみにこっちでは、GHの職員はほぼ全員、黒人などの移民。ケアの仕事は移民がキャリアアップしていくうえで最初に選ぶ仕事で、定着率もイマイチとのこと。
見学の際、GH利用者の親である典子さんがいるにもかかわらず、ドリトスをつまみながらの対応には少々ビックリしましたが、落合さんによれば「前よりは大分マシになった」とのこと。以前は職員間の申し送りがほぼ機能していないこともあったそうです。笑
日本で起こる人口減少の進行と移民社会への加速。それらが社会福祉の現場でどう作用するのか、そして「日本人らしさ」はどう変わって行くのかも考え甲斐がありそうです。