文字を持たなかった昭和 番外(受験と懐炉、後編)
昭和の鹿児島の農村で、明治生まれのハル(祖母)が使っていた「桐灰」の着火式懐炉について書いた。昭和56(1981)年の冬、その懐炉を借りて当時の共通一次試験に臨んだ二三四(わたし)だったが、試験会場に着いたとき、懐炉の火が消えてしまっていた。(前編)
しかし火が消えただけで、燃料自体は着火すればまだ燃える。火、火……、どこかに「火」はないか?
喫煙に対しておおらかだった当時、いたる所に喫煙者がいた。汽車――その頃の鹿児島県人は、国鉄(当時)の列車をひとからげにこう呼んでいた――の中ですら吸えた。そうだ、タバコを吸う人にマッチかライターを借りればいい。
と思いながら外廊下に出た二三四だったが、受験会場にそんな人はいるはずないか、と思い直したたその矢先。
ふと何かが視界に入った。タバコの煙である。吸っているのは受験生と思しき青年だった。試験会場でタバコ? と一瞬思ったが、浪人生なら20歳を超えていても不思議はない。天啓だ! 二三四はまっすぐにその青年に歩み寄って言った。
「すみません、ライターかマッチ、持ってますよね?」
いきなり着ぶくれたセーラー制服姿の田舎っぽい女子に声をかけられた青年は面食らったはずだが、そこは浪人生の貫禄(か?)、「持ってますよ」と応じた。
「火を貸してもらえませんか」
これでは自分もタバコを吸うみたいなので、慌てて補足する。
「持ってきた懐炉の火が消えてしまってて、火を点けなおしたいので…」
「ああ、どうぞ」
青年はライターを差し出した。
家で何かに火を点けるときはほとんどマッチなのでライターには慣れていなかったが、二三四はなんとか懐炉の燃料「桐灰」に火を点けなおすことができた。懐炉が暖まってくるのを確認して、お礼を言ってライターを返す。
「いえいえ」
青年は言って、残りのタバコを吸った。
二三四は後日その経緯を、地元のメジャー紙「南日本新聞」の若者向けの投稿欄に投稿し、掲載された。掲載後の投稿には短いコメントが添えられており「懐炉さんもライターさんも、暖かい春を迎えられるといいですね」とあった。
その春二三四は、第一志望でかつ唯一の受験校に合格した。共通一次の結果は、自己採点ではそれまでのどんな模試よりもよかった。入学まではまだまだすったもんだがあるのだが、ともかくも入学でき、その延長にいまの暮しがある。
「懐炉さんもライターさんも、暖かい春を迎えられるといいですね」
二三四より2歳以上年上だった(はずの)青年の顔はもはや思い出せないが、冬の日だまりでの喫煙風景とやりとりは鮮明に覚えている。あのときの「ライターさん」は無事志望校に合格できたのだろうか。その後どんな人生を歩んでいるのだろう。
毎年この時期になると、彼が「懐炉さん」を覚えていてもいなくても、彼の人生が自分の望むとおりに進んでいますように、と秘かに祈る。その年の受験生たちの健闘とともに。