自分さえも所有しない
なぜ、私は自分を愛すること、大切に扱うことがうまくできないんだろう。
生きづらさから脱出したくて、今までたくさんの情報を集め、学んできた。
その中で自分を愛することが重要ってことを知り、すごく納得している。
なのに自分を大切にしようと日々意識して過ごそうとしても、長続きしない。
忘れないように紙に書いて目につくところに置いたりして工夫しても続かないし、自分を大切にする意識が定着しない。
気づけば、自分を愛するどころか、自分を愛せない自分を責めてしまっている。
他人に対してなら抵抗なく、相手の気持ちや希望を優先したり、にこやかに接したり、ちょっとした人助けや相手の立場に立って話を聴くこともできる。
なのに相手が自分自身になった途端にめちゃくちゃ下手くそになる。
すごくぎこちないし、違和感があるし、面倒に感じるし、ついなげやりになってしまう。
思えば、自分を愛するということに取り組む動機も、他人を傷つけたりしない自分になるためであり、自分のためにやっていなかった。
そこで思った。
他人にならすんなりできる。じゃあ自分のことを他人として見ればいいんじゃないか?
そういえば、ある人が言っていた。「自分とは一番近い他人だ」って。
「自分を他人として見る」というのは、自分自身を自分のものだと思っていた意識を手放す。
自分自身を所有しているという意識を手放すということ。
自分自身に限らず、自分の家族、自分の友人、自分の恋人など、自分の所有物という意識で接している相手ほど、ありのままを愛することが難しいと感じている。ついコントロールしたくなったり、見返りを求めたりしがち。
赤の他人であればあるほど、ありのままを愛せる感覚がある。いい意味で相手に期待しないからだろう。
早速始めてみた。
自分を所有しない意識で過ごす。
するとびっくりするほど、ありのままの自分を愛する、自分を大切にすることに取り組みやすくなった。
自分を所有している意識でいると、自分(自分という意識)や体や思考や感情を同一化してしまい、うまく観察出来なかったし、痛みや思考や感情にのみ込まれて、冷静な判断ができないことが多かった。
しかし、所有の意識を手放すと、もう一つの離れた視点が作り出され、目の前にあるコップと同じように、自分や体や思考や感情をありのままに見て、観察し、冷静にどう対処するのが、自分を含む全体の調和のために良い選択かということを見極め、意識的に次に取る行動や物事の捉え方を選び取ることができることに気づいた。
これは今の私にとってすごく有益な発見!
自分さえも所有しない。
これを意識して、私を愛し、私を生きるということに積極的に取り組んでいこうと思う。