百円玉から教えてもらった、行動すること、力を合わせることの大切さ
父が百円玉2つをこっちに見せて、私が持っていたさつまいもを売って欲しいと言ったので、1個だ〜け渡した。(ちょうど安売りで小さめのさつまいもが5、6個入って一袋230円くらいだったやつのうちの一個を200円で売った。ぼったくりw)
その時受け取った百円玉2つの製造年が、片方が令和3年、もう片方が昭和49年だった。
その年月の差になんか感動して、「この子(令和3年)は、まだ生まれて間もないけど、この子(昭和49年)は大先輩だね!私よりも年上だ!すごいなぁ、たくさんの人の手に渡って、いろんな人の人生の一部を見て来たんだなぁ。いったいどんな旅をして来たんだろう。いろんな人のいろんな望みを百円玉として叶えて来たんだね!」なんて話していて、はっ!と気づいた。
そっか、百円玉を使う側の人間視点で見ると、一つの百円玉を使ったら、その百円玉は手元からなくなって、0になるから、百円玉は百円分でしかないって感覚だったけど、百円玉の視点で見て、百円玉の生涯を考えると、たくさんの人の手に渡る間に何度も何度も百円として使われてるんだから、生涯分合計すると結構な金額になってるよね!?そうじゃん!わーお!なんか感動しちゃう!
あれ?これって人間の人生にも当てはめられるんじゃない?
「私のできることなんてちっぽけで、大したことない。私の存在は恥だ。」なんて思って、無価値感、劣等感の塊になって、拗ねたようにずっと動けないでいた。
でも実は、この百円玉と同じように、ちっぽけでも今までそのちっぽけな働きを積み重ねることで、世界に与えた影響が大きくなってきてるってことなんじゃないか?
ってことは、立ち止まってちゃもったいないね!
私がもし百円玉なら、長い年月貯金箱に入れられて、一生涯でたった数人の手にしか渡れない人生(硬貨生?w)より、どんどんばりばり使ってもらって、よりたくさんの人の喜びに貢献できる百円玉人生の方が幸せを感じられると思う。
だから私の生まれ持って来た能力も、個性も、心も、体も、どんどんバリバリ使って、自分や関わる人々や世界全体の喜びにつなげていかないと、絶対あとで後悔することになるよね。
もっと思い切って行動に移せばよかった、恐れずあれもこれもやってみればよかったって。
私は完璧主義的な考え方をしがちだったり、甘えてはいけないという思い込みがあったり、承認欲求が強く、より大きな承認を受けるために人に頼らず自分だけでがんばって自分だけの手柄になるようにしたいという思いがあったりして、つい全てを自分ひとりで抱え込んでしまい、結局潰れて、他人のお世話になったり(むしろ事を大きくしてしまって大迷惑をかけたこともある)、たった一度の失敗で「自分にはできない。才能がないんだ」と落ち込んだり、他人と自分を比べて自信をなくしたりしてきた。
世の中の本当に輝いている人たちって、自分を大きく見せようとはせず、等身大の自分を生きていて、人に頼ること、助けを求めることができる人で、周りの人の支えにもちゃんと目を向けていて、感謝の気持ちをもって、のびのび生きているんだと思う。
みんなでひとつ、みんな仲間っていう意識が大事なんだ。
百円玉ちゃんも、1人の小さな子どもの駄菓子を買う夢くらいなら、百円玉ひとつの力で叶えてあげられるだろうけど、OLさんのフランス旅行の夢ともなると、百円玉ひとつの力じゃ難しい。
でも、他の紙幣や硬貨と力を合わせることで、OLさんのフランス旅行の夢も叶えてあげられる。
何もひとりで全部やろうとしなくていいんだよね。
傷つくことを恐れ、他人を世界を敵として見てしまい一匹狼的に生きようとしていたけれど、これからは共同体意識で、みんなで協力して、互いの夢を叶える手伝いをし合う、調和の世界に身を置こうと思う。
百円玉さん、私に今必要な視点を与えてくれてありがとう!!
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