第4回《Questo non è il tuo repertorio》これ、重要です。
よく言いますね、「これはあなたのレパートリーじゃないから。」
じゃあ何を歌えばいいの、若い頃はヴェルディばっかり歌っていた僕もそう思ったものです。だって、歌えるじゃん。
しかし、その頃は、「音が出せる=歌える」と勘違いしてたんですね。
で、今になって思うのです、この勘違いは世界中に蔓延しているのではないか、と。
フレーニ先生も、声に合っていないレパートリーを認めることは絶対にありません。
ある時こんなことがありました。20歳そこそこのソプラノのイタリア人、レッスンでシモン・ボッカネグラのソプラノのアリアを持ってきたのです。
「先生、これを勉強したいんですが…。」
しばし、無言のフレーニ先生、怪訝な顔をしながら、
「わかったわ、歌ってみなさい。」
その女の子は歌います。
フレーニ先生は、普段、ほんのわずかな声の変化も見逃しません。
しかし、この時は、一度も止めることなく、最後まで歌い切らせました。
その女の子の歌はというと、もちろん、最後まで音にはなっていますけれど、フレーニ先生の教えからは、だんだんと崩れていきました。
(もちろん、それは聞いている全員がわかることでした)
そして、ひとこと、
「Questo non è il tuo repertorio(これはあなたのレパートリーじゃない)」
つづけて、
「あなたね、今いくつなの?私だってヴェルディをレパートリーにし始めたのは40を過ぎてからよ。だれが、こんな曲を勧めたの?どうして私の言う通りに勉強しないの。私が…etc.」
そのあとに、その女の子が泣き崩れたのは言うまでもありません。
(余談ですが、学校にも来なくなりました。)
偉大な歌い手は口をそろえて言います。
「大事なのは自分にあったレパートリーを見つけることだ」
僕もイタリアに渡ってからそれを探し始め、
ロッシーニに出会った時に、これだ!と思ったものです。
ですので、音大の試験などでヴィオレッタのアリアなどを歌っているのを見ると、うーん、と思ってしまうものです。また、その人に合っていなそうなレパートリーを歌っているのを見ると、ちょっと残念に思ったりします。
聞いた話では、昭和音楽大学では学年によって歌っていい曲が決まっているそうですね。とてもいいことではないでしょうか。
ただ、そういうことを言われ続けてうんざりしている学生も多いことでしょう。それに、自分にあったレパートリーって何を選べばいいの?って思う人も多いとおもいます。
僕の見解を一言で言えば、古典歌曲から初めて、ロッシーニから取り掛かるといいと思います。誤解を恐れずに言えば、すべての基本はロッシーニにあると言っても過言ではないでしょう。
ただし、フレーニ先生をはじめ、ロッシーニをレパートリーにしていない歌手はたくさんいます。なぜなら、1980年代にロッシーニ・ルネサンスが起こるまで、一部のオペラを除いて、ロッシーニのオペラは非常にマイナーであり、楽譜も入手困難であったと推測されます。
ああ、またか、と思われた方もいるかもしれません。
では、その理由を紐解いていきましょう。
■椿姫は誰のために書かれたオペラか
一説には、ヴェルディが当時交際をしていた、ジュゼッピーナ・ストレッポーニ(1815-1897)の過去と決別するために書いた、という説もありますが、初演はファンニー・サルヴィーニ・ドナテッリというソプラノが演じています。
なお、ヴェルディはこのソプラノが気に入っていなかったらしく、さらには、この初演が大失敗だったそうですが、詳しくはいろいろなところにお話が載っていますので、ぜひそちらをご覧ください。
さて、椿姫といえば、ヴェルディが新境地を開拓したオペラの代表であり、天才の名前を欲しいままにした時期の最高傑作とも言えます。作曲家として最高の名声を得、人の声を知り尽くしたヴェルディが書いた、まさに代表作。
では、ドナテッリとはどのようなソプラノだったのでしょうか?椿姫の初演の時には、すでに38歳の円熟したソプラノです。このソプラノ、一体何をそれまでにレパートリーにしていたのでしょうか?
プッチーニのボエームのミミ、またはトスカ、レオンカヴァッロの道化師、などでしょうか?そんなわけはありませんね。その時代にはそのようなオペラは存在していません。
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