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理想の暮らし

幼少期の「日常の」記憶をふと、思い出すことがある。
小学、中学生くらいまでの記憶だと思う。

外で、暗くなるまで兄と1対1のサッカーをしていた。ゴールは、農業用の収穫かごとしてどこでも使われている「サンテナ」を2つ並べたものだった。街に遊びに行きたくても、遠すぎて行けないので、家で遊んでいた。

暑い夏に、畑仕事をさせられた。大根やじゃがいもを植え付けして、秋に収穫をした。牛の仕事もたくさんした。きょうだいで「仕事」の分担をしていた。畑を手伝ったら、犬の散歩に行かなくていい、とか。犬の散歩をした人は、洗濯物をたたまなくていい、とか。

街に住む友達が、家ではゲームをして飽きたら近くの公園で遊んでいるのが羨ましかった。

幼少期は、面倒くさいやりたくない仕事をたくさんした、という記憶がある。これが一般的なのかはわからないが、うちはそういう家庭だった。

さて、私は28歳になり、数年前から家族のグループラインというものができて、最近は母から、娘、息子へ向けてかまってほしそうなメッセージが送られてくる。犬や猫の様子などの報告が多い。

私が思い出す、記憶の中の生活。その暮らしを今でも父や母は過ごしているのだと、気がつく。

東京での暮らしは息が詰まったし、ちょっと頭がおかしくなってしまった。(ストレスのかかる仕事、休みも少なかった)

あのときは、畑に行くのがあんなに面倒くさかったのに、最近は、出社する前に畑に向かっている。わざわざヤギを(借りて)飼って、毎日世話をしている。畑を持って、動物と一緒に暮らすのが性に合っているんだなあ、と思う。

なんとなく、一緒に土いじりをして汗をかいた人とは打ち解け合えるきがする。

歳を取るにつれて、理想の暮らしを自由に選択できるようになるんだろうけど、スタイリッシュな街の暮らしじゃなくて、土が近くにある暮らしを選ぶんだろうなあ、と思う。

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