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サモエドは笑ってる

昨日、凄く、もの凄く嫌なことがあった。
その嫌なことの詳細はここには綴らない。だってそれを世間に晒したところで、読んだ人は嫌悪しか感じないと思う。

だからここではただ、嫌なことがあったとだけ綴る。何もかも手につかない、ただ虚しさしかそこにはない。私は今、世界で一番不幸なのではないかとさえ思う。

だがそれは断じてない。人それぞれによって不幸の基準は千差万別ではあると思うが、私が私を俯瞰してみても、私は世界で一番不幸ではない。

そう思えば、少しだけ気も楽になって、はこない。この私より不幸な人が世の中にはどれだけいるのかと思うと、何だか更に気が滅入ってしまう。私は、他の誰かを見下し、あの人よりはマシだなんて、そんなことで安心を得られるような人間にはなりたくないと、今、思った。

では一体、どうすれば気分は晴れるのだろうか。spotifyのランダム再生にしていたプレイリストから、カネコアヤノの〈燦々〉が流れる。

『悲しくて寂しい夜にも サモエドは笑ってる そう思えば愛おしい日々』

あんなにも辛いことが起きたあの瞬間にも、何処かのサモエドは笑っていた。誰かがプロポーズをしていたかもしれないし、誰かの子どもが誕生していたかもしれない。或いは、目ん玉ひん剥きながらトイレで踏ん張ってる人や、ただ無心で爪を研いでる猫、ミツバチはダンスをし、フンコロガシは象の糞をせっせと運んでいる。

そう思えば、少しだけ気も楽になって、きた。不思議だ。あんなに辛いことがあったのに、あの瞬間にフンコロガシが象の糞を運んでいたなんて、何だか笑けてくる。
なるほど。「不幸」は負の連鎖を生むが、「不幸以外の事象」は総じて美しい。
カネコアヤノも歌う。『胸が詰まるほど美しいよ ぼくらは』

だからって嫌なことがあったという事実は変わらないし、これからも時々そのことを思い出しては落ち込むのだろう。これは多分、抗えない。だけど、ならばせめて、これから先の愛おしい日々を私は燦々とした気持ちでいよう。

『美しいから ぼくらは』


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