見知らぬ人なら 誰でもいいのさ
喫茶店に一人で行くことが多い私だが、一人でなきゃ嫌なわけではない。
一人というのは自分のやりたいことに没頭できるし、時間も適当に決められるから確かに好きだ。しかし、私は根本的に寂しがり屋ではあるから、できればもう一人くらいいて欲しいというのが正直なところだ。
否、ただこれはあくまでも、いつもの一人でいるリズムに合わせてくれる“もう一人”が欲しいということだから、いかに私が寂しがり屋というより我儘で可愛くない屑野郎かということはわかっていただけたと思う。
喫茶店では基本的に、ひたすら本を読んでいる。その間に何か思いついたことや、感じたことをメモにとるのだが、ここで“もう一人”がいたらと強く思う。
私は思ったことをそのまま口走り、それをただただうんうんと頷いてくれる存在。それだけの“もう一人”が切に欲しい。
これは絶対に、知り合いでは駄目だ。見知らぬ人なら誰でもいい。
ただ私が思い、考え、発した言葉を、吸収し、納得し、相槌をしてくれる赤の他人。なんて素晴らしい関係だろうか。話し相手が欲しいのだ。
誤解しないで欲しいのだが、私は友人がいないわけではない。酒を飲んだりキャンプに行ったりする友人はいる。むしろ多い方だと思う。しかし、喫茶店に関しては友人はいて欲しくない。「赤の他人よ私の席に」と切に願っているのだ。
実はこれは、キリンジの『グッデイ・グッバイ』を初めて聞いたときに湧いて出てきた感情だ。
「グッデイ 誰かさぁ僕と グッバイ 話さないか
らららららら… 歌う号外さ グッデイ 見知らぬ人なら
グッバイ 誰でもいいのさ ねぇお喋りを いいだろ」
これだ!!と思った。根本的な意味は恐らく違うのだろうが、私の新しい感情を生み出してくれた彼らにはこの先一生頭が上がらない。否、だからといって、感情を生み出されたことによって、実は余計にモヤモヤしてもいるのだから、頭はたまに上がるくらいだとは思う。
そんなことよりキリンジの『グッデイ・グッバイ』のMVがたまらなく好きなので、少しでも気になったら拝見していただきたい。出演してる彼ら彼女らの、目が総じて美しい。あとあのサンドウィッチ食べたかった。
以上、ただの“もう一人”が欲しい報告でした。