タンホイザーの涙 夕星の歌Ⅱ
目的の図書を手にした光妃は館内でしばらく勉強することにした。これまでも様々なコンピュータ言語に触れてきたが、今回は課題が発表されてから提出締め切りが今までで一番短かった。締め切りから十分な余裕をもっての課題提出を心がけてきた光妃はここでその習慣を失うことをどうしても避けたかった。ここまで頑張ってきたのだから。光妃は図書館の閉館時間になるまで図書とノートパソコンに向き合うのだった。
やがてその日の閉館を告げる館内放送と柔らかなクラシック音楽が流れ始めた。図書の借用手続きを済ませた光妃は図書館を出た。外は既に闇に包まれていて、キャンパスの草むらからは虫の声が騒がしく聞こえていた。光妃は足早に正門を抜けて学生街を通り、駅のホームに立った。すぐに到着した電車に乗り込み、立ったままメールの受信履歴を確認した。やはり桜井からの返信は無かった。光妃は窓の外に目を向けた。川を越えている最中であった。水面は夜の闇より深く、飲み込まれそうな雰囲気があった。上り電車であるため、電車が進むほどに街並みは明るく、騒がしくなっていった。そんな喧騒をよそに光妃はぼんやりと桜井のことを思い浮かべていた。最近変わったことはあっただろうか、何か桜井の気に触ることをしてしまっただろうか、研究が上手くいっていないのだろうか、他に好きな人ができたのだろうか、私のことが嫌いになったのだろうか…。考えれば考えるほどに思考は暗い闇に落ちていった。ついに光妃はいつもの駅で降りることができなかった。別に忘れていた訳では無かったが、動くことができなかった。「今の私、騎士郎にとって必要なのかな」光妃は窓の外に向かって静かにひとりごちた。当然、返答は無い。今では桜井のことを考えるだけで塞ぎ込んだ気持ちになってしまう。ようやく動けるようになった光妃は一番近い駅に降り立ち、通り過ぎた駅に向かうため下り電車を待った。次こそ、ちゃんと目的の駅で降りることができるようにホームの自販機で温かいココアを買った。光妃はじんわりとした甘さ、熱が身体に巡ってくる感覚を確かに感じた。先程まで暗く落ち込んでいた気分が徐々に暖かく、明るくなってきたのだった。思考を整理し、着実に帰路へと着いた光妃は桜井に電話をかけてみた。思い返してみればメールは何度も送っていたものの、電話はしていなかった。電話で話すくらいなら直接会って、桜井を直に感じたかったからだ。辛抱強く応答を待ったが、ついに留守番電話サービスにつながってしまった。メッセージは残さず、光妃は古舘に電話をかけることにした。深呼吸を2回して、古舘の電話番号に発信した。2コールで古舘は応答した。「あれ、水野さんじゃないか。さっきはどうもね。どうした?」古舘は落ち着き払って光妃の用件を聞いた。「古舘さん、さっきは変なこと聞いてしまってごめんなさい。でも、私、決めました」少し間を置いてから光妃は古舘に言葉の続きを紡いだ。その言葉を聞いた古舘は電話越しに目を見開いた。