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fmkxing
手書き日記#03_隠れていたもの
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もう秋めいてきて「いつの話だよ」っていうくらい経っているのだけれど、どうしても残しておきたかったこと。
夏の間ぐんぐん伸びていた歩道脇の草たちが一斉に刈り取られた時期があって。
伸びに伸びていた草のせいで合流地点とか駐車場の出入り口が見えにくくて運転しながらハラハラしていたのが、草がなくなったおかげで安全確認がしやすくなって快適だなあとだけ思っていたら嬉しいおまけがあった。
草の背丈ですっぽり隠れていた散歩中の犬たちの姿が丸見えになっているじゃないか…!
運転席からは今まで人間しか見えていなかったのに、隠されたその足元にこんなご機嫌な顔の犬がいたとは。なんて幸せな景色。
私が見かける散歩中の犬は本当にみんなご機嫌な顔をしていて、るんるんだったりちょっとドヤ顔だったりはするんだけれど、とにかくみんな飼い主さんとの散歩が嬉しいんだろうなというのが伝わってくる表情でこちらも勝手に嬉しくなる。
みんな愛されているんだねと、じんわりきたりもする。
***
隠れていたものを目の当たりにしたとき、それがポジティブなものであれば嬉しいサプライズかもしれないけれど、ネガティブなものであったときの動揺は予測できるものではないなと思う。
最近になって自分の性質が目につくようになって、隠されていたというか押さえつけられていたというか、とにかく新たな発見みたいなことが続けて起きていてそれがもうネガティブな面でしかなくて。
「私ってこんな嫌な人間だったんだな」と思うと怖くなって。
そんなときに、あの散歩中の犬たちみたいにたっぷり愛されている自信が持てたら、自分を嫌いにならずに済むのかななんて思うことが増えた。
まずは自分が自分を愛することができたらいいんだけれどね。