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29 明日のたりないふたり

最近色々な事を考えるようになりました。仕事の事やプライベートのこと。本当に今までは俺には才能がないから無理だとか、たりていないからそれはこんな考えになるよ。と考えて流せていたことを一歩踏み止まり考えるようになりました。

良くも悪くも考えることで様々な悩みにぶつかるので正直前までの自分の方が気楽に生きていたような気がします。

そんなきっかけをくれたのは、明日のたりないふたりのライブでした。オードリーの若林さんと南海キャンディーズの山里さんがユニット組んで漫才を行った解散ライブです。

5月31日月曜日にライブ配信で見ました。昨年度から若林さんのエッセイなどを読んでおり興味がありまた、(たりないふたり)という言葉に惹かれチケットを買いました。その時点でたりないふたりは大分前からやっていたのを知り、FULLに入会をしてライブ前に最初から最後まで全部見ました。初期のころは飲み会が嫌だとか理想の女性の名前など今の自分がとても共感できる漫才で一気に引き込まれました。約10年分を一気に見るわけですからお二人の成長スピードといいますか考え方が変わってきているのを感じました。

そして秋のたりないふたりでは、微妙な雰囲気になってしまって山里さんが少し距離を置きたいなど発言をされましたが、それすらもラジオで笑いに変えてる二人が凄いと思い、ライブ当日を楽しみにしておりました。

新型コロナの影響で無観客にてライブが行われました。ライブは初めからフルスロットルで圧倒され凄く面白かったのを覚えていますし、何もない空間で漫才を続けるお二人を見て言葉では表現できないくらい圧倒されました。

ライブ事体の中身はぜひDVDが出た時に見てもらいたいので詳細には書きませんが(要らぬ心配だと思いますが、私のnote見てくれる人でもしかしたら楽しみにされている方がいるかもしれませんので)

中身を書かないとなるとこの後どう書けばいいか分からなくなりました。笑感じたことを書いていきたいと思います。

たりなかったせいで様々な傷をおってきたけれどそれでも持っている武器を信じて、磨いて戦っていくしかないと言われたような気がします。でもそんなボロボロになりながらも傷を負いながらも戦ってきたことで今この場でまさに命を燃やしているような瞬間にいれる喜びもあるよと言われた気がします。

このライブが終わるとしばらく余韻で動けなくなり、皆さんがありがとうと書くコメント欄をしばらく見ていました。

その後様々な事を考えました。私はお二人の様に傷を負いながらも戦っているのかと。今までは私には才能がないからと逃げてきたものと一回向き合ってみる時間が増えました。すると全部頭の中で厳しい戦いになります。不安になります。きっと考えてもすぐには変われないし、足りてる側へは行けません。都合の良い汚いヘリコプターはないのだから。

でも一歩目はそれらと向き合うことからだと思いました。そして傷を負いながらもそれでも何か武器を見つけ出してそれを一生懸命磨いて戦っていきたいなと思います。

こんなこと考えなかった前の自分の方が気楽だったかもしれませんが、今の自分の方が1歩か2歩ぐらい前に進んでいる気がします。

たりないと思ってたおかげで明日のたりないふたりという言葉に引っかかることができライブを見れたのは、凄く良かったです。


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