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あの夏の思い出 3 完

 牽制をしようという俺のアイデアに誰も驚く様子はなかった。それもそはずだ。この1年間誰よりもその練習をやってきたからだ。きっかけは目の前にいる内田の一言だった。
 
 ある日の練習試合後、その日もまともに抑えることができなかった俺に内田は、「どうせ打たれるんだから牽制でアウトを稼いだら」と冗談半分で言ってきた。正直その時はムカついたし何言ってるんだと思ったけれど、その手があったかと納得することができた。その日からまずネットに上がっている牽制の動画をひたすら見たり、練習後に仲間を付き合わせて牽制の練習をした。牽制が上手くなると多少打たれても大丈夫と心に余裕ができピッチング自体も少しづつ安定するようになってきた。練習は本番の為にあるというがまさに今それを発揮する時だ。緊張はするが不思議と不安はなかった。なぜならば今内野手にいるメンバーは、その練習に付き合ってくれた奴らだからだ。

 俺の提案にそれでいこうと二つ返事をしてくれた。作戦はまず2塁ランナーに牽制をする余裕がないと思わせないといけない。初球はとにかく一度もランナーもショートのサインも見ることなくバッターにボール球を投げる。仕掛けるのは次だ。警戒心ゼロになっているだろうランナーにショートもセカンドも無警戒なところでキャッチャーの内田のミットが下がる。その瞬間2塁を守っている古吉がベースに向かうと同時に俺も振り向き牽制を投げアウトを取る。これを俺たちはBパターンと呼んでいた。練習試合での成功率は3割ぐらいだ。決して高い確率ではないがやるしかない。みんなにBパターンで行こうと告げ、それぞれの守備に戻っていく。

 試合が再開される。いざバッターに向かって投げようとすると凄くホームベースまでが遠く感じた。投球練習の時点ではそのように感じなかったのに。これが初めて感じるプレッシャーてやつなのかもなと思いながら公式戦初めての一球目を投げる。これがストライクゾーンに入り打たれてしまっては、元も子もない。全力で高めのボールゾーンへ腕を振る。球は狙い通りに行きカウントは2ボール0ストライクとなる。よしここまでは計画通りだ。大きく息を吐いて内田のミットだけに集中する。セットポジションにつき3秒後内田のミットが下がる。俺はすかさず2塁に振りく。ランナーは完全に意表を突かれているようだ。ベースめがけて投げたボールは、狙い通りに古吉のグラブに収まった。そのままタッチをし「アウトー」と勢いよく審判にアピールをする。よし決まった。アウトだと確信をして審判のジャッチを見るが、そのジャッチは期待してたものではなっかた。「セーフ」と両手を大きく広げる審判。その瞬間思わず「嘘だろ」と叫び天を仰ぐ。期待とは違うその判定に動揺が隠せない。しかし一度出した判定が覆ることは高校野球ではない。切り替えなければならないが、確実にアウトだと思っていたので中々そうはいかない。後にビデオで確認をするとどちらともいえないタイミングだった。動揺がかくせないが時間は止まらない。キャッチャーの内田は切り替えろと声をかけてくれる。そうしなければと思いながらバッターへ意識を向ける。内田のサインはスライダーのボール球でいいのこと。2ボールからの次の球間違いなく狙われるからだろう。最悪あるかしても良いということだろう。そのサインにうなずき投げた2球目が高めに浮いてしまった。やばいと思った時には、打球が俺の右を抜けていきセンター前となる。急いでホームカバーに向かう。相手の3塁ランナーコーチの手は大きく回している。ランナーは3塁ベースを蹴ってホームに向かってきた。「バックホーム」もベンチを含む全員がそう叫んだ。センターがホームに投げたボールは雨で滑ったのだろう。ボールが少し右にそれた。内田が懸命にボールを取りダイビングする形でランナーにタッチをする。祈るような気持ちで審判のジャッチをみるが、無情にも両腕は大きく広げられセーフとなりサヨナラ負けとなった。そこからの記憶はほとんどない。覚えているのは、喜びを爆発させる相手チームの笑顔。そして対照的に今まで一度も泣いてるところを見たことがないチームメイトの顔。特にいつも笑顔だった原の泣顔だけは覚えている。

 あれから10年が経とうとしている。今でもあの日の記憶が蘇る。苦しくもあり楽しかった3年間。それは今でも大切な宝物である。宝物ではあるがあの日を境に時計が止まっている感覚だ。これからの人生あの時を超える瞬間は訪れるのだろうか。そんなことを考えながら甲子園を見てると地元の高校がサヨナラで負けていた。似たような負け方に悔しさを感じていると携帯がなる。
「見てたか。甲子園」その声は、懐かしいものだった。
「見てたよ。誰かさんと違って1アウト以上取れてたな」
「そうだな。まあそいつの後に投げた誰かさんは、ワンアウトも取れずサヨナラ負けをくらっていたがな」
「うるさいな。そんな事を言うためにわざわざ電話をかけたのか」
「いーやまたあの日以上の時間は訪れるのかなとかセンチメンタルなことを考えてそうなかつての球友さんが気になってね」
「余計なお世話だよ」と思わず笑ってしまう。
「冗談だよ。あの日以上では、ないかもしれないけど今日は久々の飲み会だからな遅れずに来いよ。お前電話しないと来ないときあったからな。」
「分かってるよ」と返答をして電話を切った。

あいつは俺のことなんでもお見通しなのかね。と再び画面に映る地元球児たちを見ると泣きながら砂を集めていた。「そのうち笑い話にできる日がくるよ」とテレビに向かって呟いた後仕度をして飲み会へと向かった。
居酒屋に入ると苦楽を共にした仲間たちが全員集まっていた。
「おそいぞ」と声を掛けられ「悪い悪い」と軽く返す。
「何のために電話したんだよ。本当遅いのは球速だけにしてくれませんかね」と「お前と同じ球速だからな」と返す。この数回のやり取りだけで普段あっていないのにまるで毎日会っているかのような感覚におちいる。そしてあの日に戻ったような感覚に。
 時計が止まっているような感覚は、これからも変わることはないだろう。でもそれは悪いことではないのかもしれない。いつまでも色あせないひと夏の思い出なのだから。


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