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【AIショートストーリー】『お上には逆らうな』

「……お上には逆らうな」

 そう言い聞かされて育った。
 父も祖父もそのまた父も、代々この言葉を守って生きてきた。

 俺の名は高辻直親。東京都千代田区、霞が関の内閣府に勤務する。かつて「お上」に逆らうことはすなわち死を意味した時代があったが、今の時代にそんな言葉が通用するはずもない——はずなのに、なぜか俺の周囲では、それが現実の力として機能していた。

 それを意識したのは、とある官房審議官の失踪事件からだった。

「高辻君、これを見て」

 同僚の玲奈が、机の上に一枚の紙を置いた。印刷された文章の末尾には「破棄済み」の赤いスタンプ。こういう書類は、正式にはもう存在しないことになっている。

「……『官僚の行動規範に関する補則』?」
「そう。昭和初期のもので、一度廃止されたはずなんだけど、最近になって極秘の内に復活してる」

 規範の内容は一見すると単なる倫理規定に見えるが、その最後に一文だけ異質な文言があった。

『お上には逆らうな』

 これだけ。まるで落款のように。

 俺は半笑いになった。
「……冗談だろ?」
「そう思うでしょ? でも、最近立て続けに官僚が消えてるの、知ってる?」

 官房審議官倉科、外務省の国際局長大澤、総務省の次長藤田。いずれも歴代の大物官僚だったが、三人ともある日を境に消息を絶った。

「公式発表では『健康上の理由で辞職』だけど、家族すら居場所を知らない」
「まさか」

「そう。『お上に逆らった』んだよ」

 玲奈と共に調査を進めると、奇妙な共通点が見えてきた。
 失踪した三人はそれぞれ、国の制度を抜本的に変えるような政策を推進しようとしていた。例えば、行政の透明性を大幅に向上させる「情報公開の義務化」、公務員の人事制度を外部に開放する「天下りの完全禁止」、そして財政の仕組みを根本から改革する「通貨発行権の独立」。

 どれも既得権益層には都合が悪い話だ。

 ……だが、そんな理由で本当に人が消えるのか?

 俺は半信半疑だったが、玲奈は違った。
「この国では、『お上』の定義が昔と変わってないんだよ」
「つまり?」
「……誰が『お上』なのかを、私たちは知らないまま生きてるってこと」

 その夜。

 帰宅途中、俺のスマホが震えた。知らない番号だ。

「高辻さんですね?」

 低い男の声。

「あなたが知る必要のないことに、首を突っ込んでいるようですね」

 心臓が跳ね上がる。

「……誰だ?」
「私はただの伝達者です。ただ、一つ忠告をしておきます」

 間が空く。

「——お上には、逆らわないことです」

 ブツッ。

 通話は切れた。

 手が震える。足がすくむ。全身の毛が逆立つ感覚。

 まるで、江戸時代に戻ったような気がした。

 翌日。

 玲奈が消えた。

 彼女のデスクはそのまま。家にも帰っていないらしい。

 まさか、俺の電話の直後に……?

 胸がざわつく。喉が乾く。

 『お上には逆らうな』

 この言葉は、過去の遺物ではなかった。

 それは今も生きている。

 日本という国の心臓部で、静かに、確実に、力を持ち続けている。

(……俺はどうする?)

 このまま目を瞑るか。
 それとも——

(玲奈を探す)

 決まっていた。

 「お上」に逆らうなら、それなりの覚悟がいる。

 俺は震える手でスマホを掴み、唯一の手がかりを追うことにした。

 たとえ、それが戻れない道だとしても。

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