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【AIショートストーリー】『お上には逆らうな』
「……お上には逆らうな」
そう言い聞かされて育った。
父も祖父もそのまた父も、代々この言葉を守って生きてきた。
俺の名は高辻直親。東京都千代田区、霞が関の内閣府に勤務する。かつて「お上」に逆らうことはすなわち死を意味した時代があったが、今の時代にそんな言葉が通用するはずもない——はずなのに、なぜか俺の周囲では、それが現実の力として機能していた。
それを意識したのは、とある官房審議官の失踪事件からだった。
*
「高辻君、これを見て」
同僚の玲奈が、机の上に一枚の紙を置いた。印刷された文章の末尾には「破棄済み」の赤いスタンプ。こういう書類は、正式にはもう存在しないことになっている。
「……『官僚の行動規範に関する補則』?」
「そう。昭和初期のもので、一度廃止されたはずなんだけど、最近になって極秘の内に復活してる」
規範の内容は一見すると単なる倫理規定に見えるが、その最後に一文だけ異質な文言があった。
『お上には逆らうな』
これだけ。まるで落款のように。
俺は半笑いになった。
「……冗談だろ?」
「そう思うでしょ? でも、最近立て続けに官僚が消えてるの、知ってる?」
官房審議官倉科、外務省の国際局長大澤、総務省の次長藤田。いずれも歴代の大物官僚だったが、三人ともある日を境に消息を絶った。
「公式発表では『健康上の理由で辞職』だけど、家族すら居場所を知らない」
「まさか」
「そう。『お上に逆らった』んだよ」
*
玲奈と共に調査を進めると、奇妙な共通点が見えてきた。
失踪した三人はそれぞれ、国の制度を抜本的に変えるような政策を推進しようとしていた。例えば、行政の透明性を大幅に向上させる「情報公開の義務化」、公務員の人事制度を外部に開放する「天下りの完全禁止」、そして財政の仕組みを根本から改革する「通貨発行権の独立」。
どれも既得権益層には都合が悪い話だ。
……だが、そんな理由で本当に人が消えるのか?
俺は半信半疑だったが、玲奈は違った。
「この国では、『お上』の定義が昔と変わってないんだよ」
「つまり?」
「……誰が『お上』なのかを、私たちは知らないまま生きてるってこと」
*
その夜。
帰宅途中、俺のスマホが震えた。知らない番号だ。
「高辻さんですね?」
低い男の声。
「あなたが知る必要のないことに、首を突っ込んでいるようですね」
心臓が跳ね上がる。
「……誰だ?」
「私はただの伝達者です。ただ、一つ忠告をしておきます」
間が空く。
「——お上には、逆らわないことです」
ブツッ。
通話は切れた。
手が震える。足がすくむ。全身の毛が逆立つ感覚。
まるで、江戸時代に戻ったような気がした。
*
翌日。
玲奈が消えた。
彼女のデスクはそのまま。家にも帰っていないらしい。
まさか、俺の電話の直後に……?
胸がざわつく。喉が乾く。
『お上には逆らうな』
この言葉は、過去の遺物ではなかった。
それは今も生きている。
日本という国の心臓部で、静かに、確実に、力を持ち続けている。
(……俺はどうする?)
このまま目を瞑るか。
それとも——
(玲奈を探す)
決まっていた。
「お上」に逆らうなら、それなりの覚悟がいる。
俺は震える手でスマホを掴み、唯一の手がかりを追うことにした。
たとえ、それが戻れない道だとしても。