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【AI文芸】見守り

エリスは黒いコートの襟を立て、机に足を乗せたまま、冷めた目で目の前の男を見ていた。男は汗を拭いながら、それでも必死に言い訳を続けている。

「だから、その……監視と言っても、これは『見守り』なんです。安心安全のためであって、決して個人の自由を侵害する意図は──」

エリスは無言で手元のタブレットを軽くスワイプした。瞬時に、男のスマホが震え、彼の端末のカメラが勝手に作動する。画面には、彼の家の中の映像が映し出された。

男は青ざめた。

「なあ、これが『見守り』か?」エリスは淡々と言った。「お前の生活の隅々まで監視カメラを仕掛け、お前の行動ログをリアルタイムで解析し、何を考えているかまでAIに予測させる。それが『見守り』だと?」

男は口をパクパクさせたが、言葉が出ない。

エリスは続ける。「たとえば、子供が夜遅くまで帰ってこないとする。親が心配してGPSで居場所を確認する。それは『見守り』の範疇かもしれない。でもな、たとえばお前がコンビニで立ち読みしている時間、お前が誰と食事をしているか、お前が夜どんな動画を見ているか、それを『見守り』って言うのか?」

彼女はタブレットを再び操作し、男の検索履歴をスクリーンに映し出した。

「『ストレスなく監視を受け入れさせる方法』」

男の顔から血の気が引いた。

「お前の言う『見守り』ってのは、都合よく監視の正当性を誤魔化すための言葉だ。違うか?」

エリスは肩をすくめた。「『監視』と言えば反発される。でも『見守り』と言えば、まるで優しさのように聞こえる。『あなたのため』、『社会のため』、『みんなの安心のため』……監視を正当化するためにどれだけの言葉が飾り立てられてきたか、数えきれない」

彼女は画面をタップし、過去の監視国家の崩壊の歴史を次々と表示させる。

「シュタージ──かつて東ドイツに存在した秘密警察だ。国民の3人に1人が密告者。家族、恋人、友人、同僚──誰も信用できない社会が作られた。彼らは国民の通話を盗聴し、手紙を開封し、あらゆる個人情報をファイルにまとめた。その数、約600万件。行動パターン、思想、交友関係、果ては性生活まで詳細に記録していた」

画面には、東ドイツで逮捕された人々のリストが映し出される。

「壁の向こうに逃げようとした者は、問答無用で射殺された。恋人に冗談を言っただけで密告され、突然姿を消す者がいた。お前は、これを『見守り』と呼ぶのか?」

男は震えながら呟いた。「でも、それは冷戦時代の話で……」

エリスは鼻で笑った。

「今の監視技術は、シュタージの比じゃない」

彼女は次々とスライドを映し出す。

  • 都市全体を覆う監視カメラネットワーク

  • SNSの投稿をAIがリアルタイム検閲

  • キャッシュレス決済による購買履歴の完全管理

  • AIによる行動予測と危険人物リストの作成

「これらはすべて、『犯罪抑止』『テロ対策』『社会の安定』という名目で導入された。でも、歴史を見ろ。政府が一度手に入れた監視の権限を、手放した例があるか?

男は完全に言葉を失っていた。

エリスは、静かにタブレットを閉じた。そして、淡々と呟く。

「お前はまだ、見守りと監視の違いが分からないのか?」

彼女は立ち上がり、コートの襟を整える。

「監視を正当化する言葉は、いつも『安全のため』だ。でも、監視社会の先にあるのは、自由の消失と恐怖の定着だ。お前はそれを本当に望むのか?」

男は何も言えないまま、ただ俯いた。

エリスは冷たく笑い、背を向けた。

「なら、いいさ。だが、覚えておけ。監視国家はいつだって、気づいた時には手遅れだ

そう言い残して、彼女は静かにその場を去った。

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