震災から。

震災から20年。20年前、僕はセンター試験が終わって、芦屋の自宅にいた。あの時も、たくさんの家や街が壊れて、たくさんの人が苦しんだ。僕は19歳のガキで、何もわからず、地震や被害について随分と失礼なことを言った。あの時、一夜にして髪が真っ白になる程の苦しみを背負わされた人のつらさも悲しみもわかっていなかった。僕は自分のことだけしか見えないつまらないガキだった。だから、あの時の自分をあの時、傷つけたり迷惑をかけた人々に心から謝罪したい。本当はもう謝ることなどできないから、罪を背負って人に良いことをしたい。私は20年経ってもこんな小さなことしか書けないのだ。

被災地の共同生活の場はストレスも多く、喧嘩も絶えない。みんないらいらしている。

二つの地震を経験して、地震は一瞬だが、その後の回復はとても長い。だから、地震が起きた後の長い戦いを勝ち抜かなければならない。そのつらい戦いにも心の援助は必要だ。もう決して笑うことはないと思った人にささやかでも笑顔を取り戻す戦いは、僕たちエンターテイメント産業の戦いだ。

震災から20年。20年前、僕はセンター試験が終わって、芦屋の自宅にいた。あの時も、たくさんの家や街が壊れて、たくさんの人が苦しんだ。僕は19歳のガキで、何もわからず、地震や被害について随分と失礼なことを言った。あの時、一夜にして髪が真っ白になる程の苦しみを背負わされた人のつらさも悲しみもわかっていなかった。僕は自分のことだけしか見えないつまらないガキだった。だから、あの時の自分をあの時、傷つけたり迷惑をかけた人々に心から謝罪したい。本当はもう謝ることなどできないから、罪を背負って人に良いことをしたい。私は20年経ってもこんな小さなことしか書けないのだ。

被災地の共同生活の場はストレスも多く、喧嘩も絶えない。みんないらいらしている。

二つの地震を経験して、地震は一瞬だが、その後の回復はとても長い。だから、地震が起きた後の長い戦いを勝ち抜かなければならない。そのつらい戦いにも心の援助は必要だ。もう決して笑うことはないと思った人にささやかでも笑顔を取り戻す戦いは、僕たちエンターテイメント産業の戦いだ。

災害の援助にゲームは無力だと言って、それをやめてしまうというなら、そもそも、それは平時におけるゲーム開発にも価値がないと言っているようなものだ。平時などない。僕たちは一日一日を勝ち取って生きている。自分の仕事に価値があるというなら、どんな時も継続して行かねばならない。

ゲームは物資を作らない。食料も、毛布も、階段も屋根一つ作らない。しかしゲームは人の心を浄化する力がある。それは荒んだ心にくつろぎを与える。人の心がわずかづつでも良くなれば、いさかいも減る。そうやって社会に貢献する。やがてゲームは人に希望さえ与えることができる。文学や映画が時にそうであるように。我々は毎日心してゲーム開発に向かう。良いゲームを作ることは、社会にとっても良いことだ。我々はそれを勝ち取れねばならない。すべての人に向けて。

ゲームは物資を作らない。食料も、毛布も、階段も屋根一つ作らない。しかしゲームは人の心を浄化する力がある。それは荒んだ心にくつろぎを与える。ぬ人の心がわずかづつでも良くなれば、いさかいも減る。そうやって社会に貢献する。やがてゲームは人に希望さえ与えることができる。文学や映画が時にそうであるように。我々は毎日心してゲーム開発に向かう。

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