東のユーフラテス


#創作大賞2024 #漫画原作部門

【あらすじ】
料理コンテストの爆破事件で味覚と腕の感覚を失った若き天才シェフ、東野巧(あずまのたくみ)、そして、世の中のあらゆる味覚を学習した料理ロボット「ユーフラテス」は、コンビ「東のユーフラテス」を組み、料理を革命し人々に希望を与えることを目指す。ユーフラテスは食べに来たお客の料理から、その場でレシピを創作する。ユーフラテスはレシピは出せても、実際の調理の運動が学習されていない。東野はもはや舌も腕も利かない自分に代わって、ユーフラテスの料理の腕を鍛え続ける。第1話は海外から東野に会いに来た国際料理協会副会長のロバートが東野とユーフラテスと出会うところから物語が始まる。依頼人の情報からその人のためだけの料理を組み立てる究極のシェフを目指す「東のユーフラテス」はロバートだけのためのカレーを準備する。その味は、その人の一番たいせつな記憶を呼び覚ます。第2話はユーフラテスの料理スキルの向上のため、海岸沿いのキャンピングカーでトマト・スパゲッティの一品を客のために作り続ける。訪問した友永に西野は「AIの力を借りたその人のためだけの料理」を出し続ける理想を語る。トマト・スパゲッティを食べた友永は、幼い頃の母親に作ってもらったピーマンの料理を思い出す。第3話は長野の山奥のパン屋が老齢の女店主が働けなくなった一週間を助けに行く。ユーフラテスに食パン作りを教えるという裏の意図もある。東野とユーフラテスは女店主の指導のもと、食パンを作り続ける。女主人はお客にあった食パンを選んで渡す。そこで東野は女店主が自分と同じ理想を持つことを知る。最後に女主人は東野の味覚について気づき、味は感じられなくても、食感を頼んでほしい、と取っておいた食パンを渡す。

【第1話】 「邂逅」
エピローグ

シーン1
まるで海の底にいるような暗さの中から、ゆっくりと海面に昇って行く。
「東野さん、東野さん…」
看護婦の声が聞こえる。目覚める東野。そして腕と口に感覚がないことに気づく。
「うわああああ」
 東野の声なき声が集中治療室に響き渡る。

シーン2
 病院内を一人、包帯を巻きながら、力なく歩く東野。目にも力がない。
 友人の見舞いに来ている女性2人がうわさをしている。
「ねえ、この前の銀座のビルの爆破事件のニュース観た?」
「あれでしょ、世界的な高級料理コンテストで爆破テロがあった件でしょ」
「そう、あれでね、日本人代表のシェフが…」
 廊下に置かれたソファにぐったりと腰をかける。
 東野は腕を見るが、まったく動かない。片手で口を触るが、そこにも感覚がない。
 窓の外を見上げるが、何の希望もない。

回想シーン
 銀座の高層ビルの高層階。
 グルメブームの中、コンテストが開催されている。
 各国の代表が集まる中、東野は日本代表としてフラッシュを浴びる。
 司会の声。
「日本代表の東野巧さんです。」
 黄色い歓声、光の洪水のようなフラッシュ。
 しかし、そこに突如投げ込まれる黒い塊。
 目の前が見えなくなり、轟音で耳がつる。

「東野さん、東野巧さんですよね」
  目の前に一体のおおきなロボットが立っている。
  逆光でシルエットしか見えない。
  東野はまだ喋ることができず、あごを上下に揺らす。
「私は料理ロボットのユーフラテス。あなたに会いに来ました。」
  東野は驚く。見舞いに来る人間さえいなかったのだ。
「私に料理を教えてください」
  東野は目を見開き、驚く。もう一度。

シーン3
 ある会議室。
日本料理会会長「それは、国際料理協会の副会長のロバート・フィッシャーさんの願いでも、お聴きすることはできませんね」
ロバート「どうしてだ?わたしはこの日本訪問の最後に東野の料理を食べたいのだ」
日本料理会会長「わが国ではいまだ人工知能の調理を認めていません」
ロバート「私が食べたいのは、東野&ユーフラテスの料理だよ。それは食べるものの心に大切な記憶を呼び覚ますと言われている」
日本料理会会長「東野はもう事故で再起不能とのことですよ。心だの命だの記憶?だのと海外で評判かもしれませんが、日本では彼はもう終わった男ですよ。お引き取りください」
 歯を噛みしめて席を立つロバート。追いかける会長補佐の友永。
友永「ロバートさん、東野さんに会いたいですか?」

シーン4
 タクシーの中のロバート。友永に渡された住所へと向かう。
 メモの店の名前を見ながら、こんなところに東野はいるのだろうか、と思う。
 止まるタクシー。『横浜海岸洋食飯店』と書いてある看板を見上げる。
 街中中華という感じだ。
ロバート「ここか…」
ロバートはあまり浮かない顔。高級店には見えない。溜息をつく。
 店に入り、席に座るロバート。見渡す店内はぱっとしない。
 ウェイターが注文を取りに来ると、名刺を出す。
ロバート「シェフに会いたいのだが」
 ウェイターは名刺にびっくりしてオーナー・シェフを呼ぶ。
ウェイター「か、かしこまりました!」
オーナー・シェフ(川田)がやって来る。
川田「シェフの川田です。どのようなご用件でしょうか?」
ロバート「東野氏に会えると思ったのだが」
 首をかしげる川田。沈黙。
川田「東野?東野ってうちの調理の東野ですか? なんでもロボットと一緒に雇って欲しいというので、先月うちにやってきて、調理の補助などやってもらってます」
ロバート「補助?とにかく私は東野の料理を食べたい。東野に作らせてくれ」
川田「は、はあ」
 川田、厨房の方へ向く。
川田「おーい、東野、ちょっと来い」
東野「なんだよ。おっちゃん」
川田「おっちゃんとはなんだ?いちおう、雇い主だぞ。礼儀をわきまえろ!」
東野にかけよるロバート。興奮して英語で話しかける」
ロバート「Mr.Nishino, I’m glad to see you. I came to Japan to meet you and eat your dish.
Can I ask you?」
東野「お、おう。この人、何を言っているんだ?」
続いて奥からユーフラテス登場。
ユーフラテス「東野さんの料理を食べたいと言ってるんですよ」
 ロバ―トはユーフラテスを見上げる。
ロバート「これがユーフラテス…」
東野「それはいいけど、この人は俺の事知っているのか。事故のことも…」
ロバート「知っています。それでも、お願いしたい」
 考え込む東野。
東野「ロバートさんよ、俺の料理を食べたいと言った。ありがとう。
   でもな、俺はもう、舌も利かない。腕も利かない。
   実際に料理を作るのは無理だ。作るのはこいつさ。」
 東野、ユーフラテスの胸を叩く。
東野「それでもいいか?」
ロバート「いいさ」
東野「おーけー。ユーフラテスからあなたのデータにアクセスさせてもらう。許可をくれ」
ロバート「料理に必要なんだな」
 うなずく東野。
 颯爽と厨房に消える東野とユーフラテス。
 二人を追う川田。
川田「おい。こら、これは内緒だぞ。ばれたら営業停止だ。あと、うちの食材使うのか?」

シーン5
 厨房にて。
 東野が食材を中央の机に集め始める。
 ユーフラテスが目からレーザービームで野菜をかたっぱしからさばいていく。
 ユーフラテスは野菜の破片を吸引して成分を分析する。
ユーフラテス「玉ねぎの成分は、ビタミンC 7 mg、カルシウム20 mg、鉄0.3 mg ビタミンB6 0.5 m, マグネシウム 3 mg, …」
東野「わからないな。それは甘いのか、辛いのか」
ユーフラテス「辛いです」
東野「だったら、その成分に似た玉ねぎをさらに2つ探して、一緒に炒めろ」
ユーフラテス「はい!」
東野「カレーを作る」
フライパンで玉ねぎを炒めるユーフラテス。
ユーフラテス「カレー…でいいんですか?相手は海外の協会の重鎮でしょ?」
東野「高級料理は食べ飽きただろう。それに、
   いろんな日本の食材を一機に味わうには、カレーが一番さ。
   ただ味付けは彼の出身地に合わせてやれ」
 鶏肉を熱湯に入れて揉もうとする東野。それをみつめるユーフラテス。
東野「鶏肉はな、こうやって、縦にほぐしていく」
 ほぐそうとするが、うまく腕が動かない。ユーフラテスの腕がその動きを助ける。
東野「そうだ。もう少しゆっくりだ。いいぞ」
ユーフラテスはほぐし続ける。
東野「もういい。あとは、カレールーとめんつゆを用意してくれ」
ユーフラテス「めんつゆ?カレーに?そんなレシピ、ありませんよ」
東野「新しい調味料でも味を計算できるはずだ。俺も、おまえも」
ユーフラテスの「確かに。そうであれば、ナンプラーも入れますか?良い成分比になります」
東野「小さじ一杯ぐらいにしておけ」
 ユーフラテスの手で野菜を入れて鍋ができあがっていく。
 東野はさらに指示を出す。
東野「よし、今だ、ルーとソースを入れろ」
ユーフラテス「わかりました」
東野「ルーは野菜に染み渡るように、2回に分けて入れるんだ。あまりかき回し過ぎるな」
ユーフラテスの「オーケー、東野」
 しばらく無言時間が続く。料理は最終工程に入る。
東野「ユーフラテス、味見をしろ。1分置きに味見をして、甘みが出尽くしたら、火をとめるんだ」
ユーフラテス「わかりました」

シーン6
 ホールで待つロバート。運ばれて来るカレー。
ロバート「これは良い香りだね」
東野「はい。私とユーフラテスが作ったカレーです」
ロバート「さっそく頂くよ」
 カレーを口に運ぶロバート。絶句。
 
短い回想シーン
 故郷の山並み。遊んで帰る土の道。
 家に近づくとカレーににおい。
「母さん、今日、カレーなの?」

ロバート「これは!とても懐かしい … とても味わい深い」
東野「ユーフラテスは短時間であなたの生まれ、あなたの育った場所、食べて来たものを調べた。そして、ユーフラテスは私がカレーと言ったとたん、あなたの舌に合う野菜の成分を決めることができた。またカレーに入れる成分もな。それと少し日本風のアレンジも入れてある」
ユーフラテス「はい。これからもっと料理の腕を覚えて、上達します」
東野「こいつは世界中のレシピをくまなく知っているし、その土地土地で取れる名産品の成分も詳細に知っている。だが実際に料理を作る経験がまるでない。それをこれから叩きこむ」
ロバート「なるほど、これがこれからあなたの作る料理か」
東野「俺の、ではない。俺たち『東のユーフラテス』の、だ。そうだろ、ユーフラテス。
    俺はこいつの舌と腕を頼りに、これからもデータと俺の経験で最高の料理を作っていく」
 東野はもう一度ユーフラテスの胸をたたく。ユーフラテスが笑う。
 ぽかーんとする川田。

シーン7
 空港。ロバートが電話している。
ロバート「ミス・友永?ありがとう。
     とても良い料理を頂くことができたよ。
     東野の料理は本当にファンタスティックだ。
     料理というものの根底をくつがえされたよ。
     私は協会に帰って、AIが料理のできる制度を見直すことにするよ」
友永「ありがとう。当分、彼には逆風ですが、よろしくお願いいたします。」
ロバート「それと、例の爆破事件の犯人は見つかったのか?」
友永「まだです。あのイベントは関係者以外は入れなかった。列席者の中から犯人を割り出しています」
 空を見上げるロバート。
ロバート「そうか…グッドラック、東野…」

(第一話おわり)

【第2話】「東のユーフラテス」

シーン1
 横浜海岸洋食飯店。平日午後。
友永「あのー、東野さん、いらっしゃいます?」
川野「いや、先月やめちゃったよ。」
友永「え?」
川野「なんでも、ユーフラテスにもっといろんな場所で修行させたいんだって」
友永「どちらへ行ったかご存じありませんか?」
川野「この店だよ」
 川野はメモを取り出す。
川野「あの、東野くんのお知り合い?あの東野って、まさかあの有名な天才シェフの東野だったのかなあ。なんてね。まさかねえ。」
友永「あはははは、まさか」
 店を出る友永。横浜みなとみらい公園の方へ歩く。

回想シーン
 友永、東野との最初の出会いを回想する。
 料理バトルの会場。会場を秘書として歩き回る友永。
 東野のブースに来る。
友永「西野さん、こんにちは」
東野「こんにちは。協会の人?今、準備で忙しいんだわ。また後で来てくれる?」
友永「会長が挨拶したいと言われています。それとメディア取材の件が数件…」
東野「そんなに?」
友永「天才シェフですもの」
東野「うーん、会長への挨拶はパスかな。また今度でいい?」
友永「そうですか…他の方はごぞって挨拶に来るんですよ」
東野「そうか。ただ食材を置いて、どっかへ行くわけにはいかないのでね。
   俺には助手もいないし、一人だし、この場を離れられない」
友永「私で良かったら、手伝いましょうか?」
東野「あんた料理するの?」
友永「調理学校を出たぐらいですが…」
東野「この、キュウリな、会場の熱気で温まってるんだ。どこからから冷たい氷水持ってきてくれない。それと取材は全部パス」

 横浜の海岸沿いを歩く友永。
友永「うーん。こんな住所に店なんかあったかな?」
 『東のユーフラテス』の看板が飛び込んでくる
友永「え?」
 キッチンカーの前で足を止める友永。
 キッチンカーに『東のユーフラテス』と書かれている。
 のぞきこむ友永。
友永「に、東野さん?」
東野「あれ?友永さん、どうしたの?」
友永「あの先月、ロバートさんが…」
東野「あ、あれは友永さんの紹介だったんだ」
友永「そうなんです。ロバートさんかられお礼のご連絡を頂いて…
   今はどうしてるんですか?こんなところで」
東野「一か月だけ、この場所をかりてね。いろいろ研究してるんだよ。
   ここは、たくさんの、いろんな人がいて面白い。
   いろいろな料理を提供できる」
友永「いろいろ、ですか… メニューは『トマト・スパゲッティ』としか書いていませんよ。
   これしかないんですか?」
東野「そうだよ。携帯かしてくれる?公開しているパーソナルデータを、  
   あのデブに転送してもらっていい?」
 ユーフラテス、キッチンカーの奥から発言する。
ユーフラテス「デブではないです!」
東野「メニューはこれしかない。トマト・スパゲッティ、それでいい?」
友永「はい!」

シーン2
 キッチンカーの中。

東野「今日もフライパンの持ち方からだな」
ユーフラテス「はい。よろしくお願いいたします。」
東野「食材は…」
ユーフラテス「レーザーで切っておきました!」
 ユーフラテスの隣のテーブルには、たまねぎとピーマン、そしてベーコンが見事に細かく切られていた。東野はそれを細かく観察した。
東野「おまえの作った博士はさ、どうして調理の仕方は教えなかったの?」
ユーフラテス「博士はまったく料理のできない人でした。
       だから出前や外食ばかりでした。
       その代わり、世界中のレシピを僕に記憶させたんです。
       でも、おしゃもじ一つ握ったことのない博士には、
       料理をする行動を学習させることはできなかった。
       それには実際の料理をする人が必要だった。
       こうして調理場に立てたのは東野さんのおかげです」
東野「スパゲッティを茹でるぞ」
ユーフラテス「お湯は沸かしてあります。塩も入れました」
東野「スパゲッティ1.4mmを一房、円を描くように入れろ」
ユーフラテス「こうでしょうか…」
 ユーフラテスがぎこちなく入れる。東野がその手を握って誘導する。
東野「そんな緊張しなくていいんだ。料理は行動のリズムが大事だ。
   始めたら終わりまで途切れなくリズミカルに行動する。いいな」
ユーフラテス「わかりました」
東野「フライパンにピーマン、たまねぎ、そしてトマト缶だ。
   まぜつつ炒めるんだ」
 次々にフライパンに入れるユーフラテス。
ユーフラテス「いい匂いです」
東野「俺の嗅覚はもう微かにしか残っていないが、確かにいい匂いだ」
ユーフラテス「少しピーマンは細かくレーザーで切っておきました。
       彼女は宮崎県の出身ですが、ピーマンは少し苦手なようです」

シーン3
 トマト・スパゲッティを食べる友永。
友永「うーん、美味しい。ピーマンがこんなに甘いなんて」
東野「苦手なんでしょう?」
友永「苦手というより、幼い頃、ピーマンを食べさせられすぎて、
   その味があんまりだったから、ずっと敬遠していた」
東野「ユーフラテスは、それを察していましたよ。
   あなたの食歴からね」
友永「いろいろ思い出したわ。過去は私にとってつらいものだった。
   でも、この味が、過去と今をつないでくれた。」

短い回想シーン
 子供の頃の自宅の食卓。母親がピーマンを炒めてくれる。
 お皿に盛られて、出てくる。それを食べる友永。

 沈黙。海外沿いの風が吹く。
友永「このスパゲッティが、これから東野さんの進む道なの?」
東野「これまで料理は、料理人が理想と思う料理をお客様に出していた。
   それがどんなお客様であろうと、最高の料理を出し続ける。
   しかし、俺はお客様一人一人が望む料理を出してあげたい。
   一人一人違った料理を提供したい。これまではそれが不可能だった」
友永「それはどうして?」
東野「事前に十分にお客様のことを知ることができなかったら。
   でも時代は変わった。ユーフラテスなら、その人の様々なデータを受け取って、
   世界中のレシピから最適なレシピを即座に作り出すことができる。
   しかし、それだけでは足りない。そこから俺の経験で、
   その日の天候、湿度、その人の体調にあった料理にアレンジする。
   その人のためのスペシャルな料理のレシピを完成させることができる。
   ユーフラテスの料理の腕はまだまだだが、
   ここでこうやって、たくさんの人に接しながら、
   一人一人のための料理を作っていけば、俺たちの理想を実現できる」
友永「俺たち?」
東野「『東のユーフラテス』、それが僕たちのコンビ名さ。
   そして、いずれ、この名前を冠したレストランを開くのが、
   俺の当面の夢だ」

シーン4
 去っていく友永。
 振り返って手を振る友永。
 夕暮れの海岸に2つの影。東野とユーフラテスが手を振っている。
 「人工知能に調理はさせない」という会長の言葉が脳裏をよぎる。
 もう一度手を振る友永。

第3話 

シーン1
 海岸沿いを歩く友永。東野の店に行こうとする。
 しかし、そこには何もなかった。
友永「今度はどこに行ったのよー!」

シーン2
 小さな厨房でパン生地をこねるユーフラテス。
 お婆さん(小林さん)が奥から見守る。
小林「すまないねえ、私ももう年でね、長い間、立ちっぱなしで作っていたら、
   腰をやってしまって。ありがとね。こんな長野の山奥まで」
東野「いいってことですよ。
   SNSで見て、お力になれたらと思いまして。
   それに、こいつに、一度パン作りを体験させたかった。
   こねる、という行為を一番身に染みて学べるのは、
   やはりパン作りですからね」
小林「ありがとう。ユーフちゃん?私は目も悪くなったけど、
   ずいぶんいいがたいをしているのねえ」
東野「あはははは」
 エプロンをしてパンをこね続けるユーフラテス。

シーン3
 ユーフラテスの焼いた食パンを食べる小林
小林「うーん、なんか違うねえ」
   かまどに入れるタイミングが少し遅いのかもしれない。
   パンはその時が来たら、
   すっとかまどに入れて膨らませてあげなければ」
ユーフラテス「一応、生地が出来上がってきたら、入れているのですが」
小林「それはね、生地を目で見ているんだね。
   確かに、本やら学校では、そうならうかもね。
     でもね、私は耳で聴くのさ。生地の声をね。
   このへんは水がいいからね、生地の声がそのまま聴こえるのさ。
   生地がもういいよ、焼いてもいいよ、という声がね、
   ぷちぷちと聴こえるんだよ」
東野「声、ですか?」
 耳を澄ますユーフラテス。集中して音を拾う。
ユーフラテス「ぷちっ、ぷちっ、と音がします」
小林「そうだよ。その声だよ。何度も何度も、その声を聴くんだ。
   最初は無理でも、そのうち、わかってくる。
   生地の方から入れるタイミングを教えてくれる」

シーン4
 深夜。長野の山奥。蚊帳の中。
 東野とユーフラテス。
ユーフラテス「あのお婆さんは、ずっとこの街で食パンを焼き続けて来たんですね」
東野「そうさ。おまえや、俺が生まれるずっと前から、
   そんなに大きくないこの街で、ちょうどこの街の人たちが、
   必要な分、焼いてきた。」
ユーフラテス「同じ食パンを何十年も。
       食パンは全部、同じ食パンだとしたら、
       僕と東野さんの理想とする、その人にあった料理、
       とはまた違うものなんでしょうか?」
東野「うーん」
ユーフラテス「違うのですか?」
東野「朝が早いから、人間の俺は寝させてもらうよ」

シーン5
翌朝。ユーフラテスは生地の声を聴き、パンを焼く。
小林「うーん、だいぶいい感じなったね」
   食パンを選別する小林。
   これとこれをこれは店頭に出していいよ。
   これとこれはダメだね。私たちで食べてしまおう」
ユーフラテス「うーん、難しいなあ」
東野「すまない」
小林「いいんだよ。この街も人が少なくなって、パンを買う人は限られてきている。
   一日20斤も出ればいい方だよ」
東野「そうか…」
小林「じゃあ、私はこの食パンを店頭に並べてくるよ」
 厨房を出ていく小林。
 うなだれる東野とユーフラテス。
 ユーフラテスの肩を叩く東野
東野「よくがんばったな。ユーフラテス」
ユーフラテス「生地の声が聞こえ始めて、
       そして、その声がそれぞれ違うことに気づいて、
       それでちょっとわからなくなってしまって、
       タイミングが…」

東野は何か気が付いて、店頭に向かう。
ユーフラテスも後を追う。

シーン6
 食パンを売る小林。
街人A「おばあちゃん、腰はもういいの?」
小林「ごめんね。まだ少し痛むけど、遠くから助けが来てくれたのよ」
街人A「なんだか楽しそうね」
小林「ええ、そうね。あなたには、このパンがいいわ。
   少し硬いけど、そういうの好きよね」
街人A「ええ、そうよ、ありがとう。」

街の少年「おばあちゃ、食パンちょうだい」
小林「あら、ぼっちゃん、お使い偉いわね。
中丸さん家は、ずっとこのふわふわのパンが好きよね。
はい、どうぞ」

 その後も、買いに来る人によって食パンを選んでは渡す小林。

シーン7
 帰りの電車の中、東野は回想する。

小林「はい。これお土産よ、短い間だったけど助かったわ」
 店頭に出さなかった食パンから一つ東野に渡す。
東野「ありがとう」
小林「あなた、失礼だけど、味を感じないのね。」
東野「どうして…」
小林「なんとなく、わかっていたわ。
   あなたの食べ物を見る目が、あまりにも熱意にあふれていたから。
   そして食べることが、あまりにも哀しそうだったから。
   つらかったわね。でも、食べ物はね。味だけじゃないのよ。、
   このパンの感触を楽しんでね。ありがとう」

 パンを口に入れる東野。パンを口に入れるユーフラテス。
 味はわからずとも、その感触を確かめる。
東野「これだから料理はやめられない」

                        (おわり)


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