人々が人工知能に託して来た夢や思い
10代は、ときどき、アニメを観ていました。というのも、当時はレンタルビデオ屋もアニメの扱いが少なく、深夜の特別番組か、夏休みと冬休みしかなかったのです。でも、そんなアニメを観ながら、近未来には、こんな社会が来るんだと、ぼんやりと想像していました。
そこで一番重要だったのは、アニメの中に描かれている人工知能が、社会を今よりずっとよくしている、ということでした。ロボットのポリスマンが街の治安を守り、新聞や缶ジュースを売るロボットがいて、車はAIが自動ナビゲーションする。宇宙までは自分の飛行機で一跳びで、一緒に載っているロボットとAIが操縦してくれる。
そこには、当日の人々が、人工知能に託した夢がたくさんあって、僕はアニメの中で、そういうぼんやりとしたビジョンみたいなものが、どんどん吸収しました。そんなビジョンが一番好きだったのす。ドラゴンボールの中で一番好きなのは、カプセル型住居や、ドランンボールレーダーやスカウタ―だったりします。アラレちゃんみたいなロボットが出てこれば、もっと良かったと思います。
僕がなぜ人工知能が好きか、よくわかりません。しかし、その深淵に魅入られて、10年以上も経つのに、私は前進するどころか、その全体像の大きさに、圧倒されるばかりで、その全体像さえ、まだ文書にも、何にもなっていない。僕が進んでいたと思っていたのは、実は後退していたと思えるほどに、進めば進むほど、世界は広くなって行きます。
でも、人々が人工知能に託して来た夢や思いというものは、
そのまま僕の胸にあるのです。それは一番純粋なものです。
人工知能は期待されているのです。
流行りの記事であおったりせずとも、
シンギュラリティのような標語がなくても、
その思いをずっと受け止めて、人工知能を未来へつないで行くことが、
われわれの当たりの前の仕事だと思います。