ネットは広大だ...そしてゲームもまた広大だ。

世の中を面白くするのがエンターテインメントであるなら、
開発者はまず世の中を面白くすることを考えてみる。

そこから、デジタルゲームへ至る道が見つからなければ、
或いは、他の方法が見つかるならば、それは大きな活動のヒントとなろう。

次に、とりあえずゲームの中で考えてみて、
そこからデジタルゲームを使う方法を考えてみる。

最後に、デジタルゲームを作ることを前提に考えてみる。

この思考方法は、最初からデジタルゲームを作るという
暗黙の条件の中で考えることとは違う。

常に、我々は、最初の問いからデジタルゲームをなぜ選択するか、
という問いに対する答えを更新し持ち続けていなくてはならない。

常に世の中を楽しませるというビジョンの中で仕事をすることは、
ありもしない壁に悩むことをなくしてくれる。

そのビジョンの中から、敢えてデジタルゲームを選ぶということの理由が、
そのゲームを作る理由になるだろう。

デジタルゲームという枠の中では対立しているように見えることでも、
より広いビジョンの中では、
実は同じものの違う見方に過ぎないことも見えて来る。

そして、次に時間を学べ。

最初にアーケードゲームがあった。
家庭用ゲームが出た時、性能の差から、あんなのはゲームでないと言われた。
次に、携帯ゲームが出た時も、2色しかなかったから、ゲームでないと言われた。
次にオンラインゲームが出た時も、あまりの遅さにゲームでないと言われた。
ソーシャルゲームが出た時も、やはり同じことを言われた。
インディーズが出た時も、やはり同じことが言われた。

テクノロジーは世の中で、どんどんデジタル空間を広げている。敢えて言えば、
テクノロジーは世の中で、どんどんゲームを展開できる空間を広げている。

草薙素子がネットは広大だ、と言うならば、既に、ゲームは広大なのだ。
その可能性は、まだ掘り尽くされていない。つるはしを振るう人のものである。

より広い土壌と、より広い空間の中から、
その土地を選ぶ理由こそが、鶴嘴をふるう強さになるだろう。

そして、私利を超えて、そこで見つけたもの、見つからなかったものを、
共有できるのであれば、我々は、この広大な空間の地図を作れるだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?