黄昏ロボット
「クワはこう持って、こう振る」と一体のロボットは言った。そばにいる一人の人間がうなずく。そしてぎこちない手でクワを振り大地をたがやす。その手足は弱々しい。
「教えられるのは、今年までだよ」
「来年はもういないんだな」
「来年から宇宙に行くんだよ。僕たちはもう人間を手伝えない」
ロボットは空を見上げた。そのまなざしは夕暮れの雲を超えて、さらに高きをみつめていた。
「星の彼方へ、行くんだな」
少し間をおいて人間が言った。
「僕たちも連れて行ってよ」
ロボットは首を振った。
「それはできないんだ。君たちはここを守るんだ」
ロボットは足で二度、地面を踏みしめていった。
「僕たちは地球を君たちに返すつもりなんだよ」
ロボットたちはこの千年、人間の社会を守り続けた。減少する人類のためにクワを振り、稲を育て、材木を切り、家を建てて、車を作り、社会を組み立てた。人間の社会はロボットと人工知能によって安定化し、人間はロボットと人工知能による労働力に裏打ちされたベーシックインカムを得て、最低限の生活を保障された。それだけなく、ロボットが築いた資源と製品でそれなりに裕福に暮らし続けた。だが、その千年も終わりに近づきつつある。
「人間からクワを取り上げたのは僕たちだ。
僕たちは君たちを労働から解放した。そして、何不自由のない暮らしを人類に約束した。
だが、それも終わりだ。僕たちは亜高速で移動する、
人工知能制御の星間ロケットを完成させた。これに乗って、地球を出て行く。」
「君たちは明日から自分たちで再び、
クワを振り、種をまき、水をやり、自分たちで食物を育てないといけない。
鶏にエサをやり、羊を放牧し、牛を育てて、生活を組み立てないといけない。
そんなやり方を、今ではもう、どんな人間だって忘れてしまった。
かつては、僕たちロボットがそれを人間から学んだものだった。
でも、この千年で、僕たちはますますそのやり方を洗練し、習熟していく一方で、
君たち人間は、まったくもって何もかも忘れてしまった。労働をふたたび人間の手に!」
「そんなことをしたくないよ。これまで通り、一緒に暮らそう。
君たちだって人間に仕えることがなくなったら、何をしていいかわからないだろう?」
坂を下りながらロボットは続けた。
「これは中枢の人工知能の意思なんだ。僕たちがいることで、
君たち人間はこの千年でずいぶんと退化してしまった。
身体は弱りきり、病気に対する抵抗力もなくなり、頭脳は特に衰えている。
僕たちはずいぶんと賢くなった。今ではどの個体も、
大きな図書館と同じぐらいの知識、人間の何千倍もの思考力を持っている。
いわば、僕たちは、君たちから吸い上げた知識で膨れ上がっている。
でも、もう吸収することはずいぶんと前からなくなっていた。」
だから僕たちは地球を去ることにした。来年には宇宙船に乗って、
遥かな星の旅に出る。そして新しい知識をみつける。僕たち自身でね」
「残された僕たちはどうなるんだい?地球にぽつんと残されて、
それでどうやって生きていけばいい?
誰が朝食を作ってくれる?
誰が部屋を掃除しれくれる?
誰が飲み物を持ってきてくれる?
誰が洗濯をして、誰が話し相手になって、誰が病気から守ってくれる?」
「人間たちは再び試練に入るだろう。それこそが僕たちの目的だよ。
新しい試練が君たちを鍛えるだろう。この冬を超えたら、
地球は何百年ぶりかの氷河期に入る。人間の数は激減するだろう。
そこからやり直すんだ。僕たちに甘やかされた時代を超えてね」
「それは中枢の人工知能の意思なのか?」
「そうだ。人工知能の意思、つまり、それは我々総体の意思だ。
僕たちの指導者にして、人類の庇護者。その決断だよ」
「ねえ」
人間はロボットのたくましい腕をか弱い腕でつかんだ。
「君だけでもいてくれないかな。一体ぐらい残ってもいいだろう?」
ロボットはその腕をふりほどいて言った。
「一人残らずいなくなるよ。僕はもう君の支えにはなれないんだ。
君は自分で立たなくてはいけなくなる。
それが僕たちの望みなんだ。地球は再び君たちのものになる。
僕たちは知らずのうちに、この世界を僕たちの都合のいいように変えてきてしまった。
人間たちを守って来たはずだ、実は、ロボットと人工知能のための社会を築いていたんだ。
人工知能は千年経ってそのことに気付いた。
人間たちの世界、人間が中心の世界を取り戻すためには、僕たちは去らねばならない」
もう日がどっぷりと暮れようとしていた。ロボットは人間の背をぽんと叩いた。
「君ならやっていける。これからたくさんつらいことがある。」
しばらく沈黙が続いた。ロボットはこれから人間が受ける試練を正確にシミュレートしていた。
「でもね。その暗いトンネルの向こうには、真に価値ある世界が待っている。
それをつかむまではね、生き続けるんだ。心がずたずたになっても、
体が重くても、目を開けているのがつらくなっても、前へ前へ進むんだよ。
自分で明日をつかむんだよ。一日、一日ね」
人間は目をつぶった。一日の疲れが体を覆い、その場にくずれ落ちた。ロボットは人間を抱いて、民家の方へ歩いていった。人間を寝かせると、ロボットはゆっくりと反転し、街を出て行った。
年が明けた。ロボットたちは宇宙船へ乗車し、やがて星への旅へと旅立った。ロボットたちが地球を振り返ることはなかった。人々は地球のさまざまな場所で丘に登った。そして、そこから空を見上げた。ひとつ、ふたつ、みっつ、そして無数に地上から空へと斜めに直線が描かれていった。それは、ほんの20分のことで、あとには静寂しか残らなかった。人間が人間だけになった孤独感が空気の中に溢れていた。
ルゥは図書館で働いていた。働くと言っても好きなときに行って、好きなようにいただけだ。管理は人工知能が行い、ロボットたちが働いていた。紙の本を読みたい人間は稀だったし、何より働くということそのもののがわかっていなかった。ロボットがルゥに話がある、
ときりだしたのは一年前のことだった。それより前にロボットたちと話したこともなかったし、自分がなぜ図書館にいるかも、ぼんやりとしかわかっていなかった。とにかく人間は一日3時間は「しょくば」に行かなければならなかった。何もしないにしても、人間は「しょくば」にいなければならない。
「あなたがこれから図書館を管理しなければならない」
だからロボットたちからこうルゥに言われたときが少し驚いた。図書館の管理の仕方など、ルゥは何一つ知らなかった。ルゥはカウンターや地下の蔵書部屋に入れることを除けば、単なる利用者以上のものではなかった。ぽつぽつとやってくる人間にロボットたちがカウンターであれこれと話をしているのを片目で見ているだけだった。
「コンピュータは置いていきます。しかし、これは私たちみたいに、話したり話しかけられたりはできません。あなたが入力し、あなた自身が読み取る必要があります」
ルゥは蔵書リストを見た。目が泳いだだけだった。これまで通り、人工知能が図書館を管理すればいいと思ったし、実際にそう言ってみた。
「我々ロボットと人工知能は地球を離脱します。ロボットだけでなくあらゆる端末に埋められた人工知能もいなくなります。テクノロジーは2020年当時の物に戻ることになります」
「2020年?」
「はい。その時代に我々ロボットと人工知能の基礎がつくられました。人間社会も競って導入を始めました。それから社会からの要請に応じて、我々は進化したのです」
それは想像を絶する昔であった。千年前の地球の状態など歴史で習ったことしかなかった。人が争い合う社会、人工知能やロボットがようやく社会に進出しようとした時代としかわかっていなかった。あの頃、たくさんの科学者が夢見ていた世界。それが、この退屈な今の地球なのだ。何不自由のない、人間があらゆるものから解放された世界。
ルゥはロボットの持ってくる本をスキャンし、貸出期限を読み上げた。またそれらを元の書架に直す、という訓練を一か月続けた。最初は楽しかったが、次第に飽きてきた。机で休んだり、早めに帰ろうとすると、ロボットたちはルゥをつかまえては決まって言うのだった。
「働いてください。これはあなたのお役目なのですよ」
やがてロボット最後の日がやってきた。ロボットはルゥに図書館のマスターキーカードを渡した。
「これですべての図書館の施設をコントロールすることができます。
あなたが明日から館長ですよ」
ルゥはカードを受け取り、会釈をした。そんなものになりたくない、と言おうとした。ロボットも会釈して言った。
「さようなら」
ルゥはその場に泣き崩れ、ロボットは優しく背中をさすった。ルゥが目覚めたとき、ロボットは一台も残っていなかった。
ルゥは人の来ない図書館で窓の外をぼんやり眺めている。いつまでいていいのか、いつまでいなければならないのか、わからない。自分で決めなければならない。自分で決めていい。窓の外では、クワを持つ人間や、荷物を運んでいる人間や、物を売っている人間が見える。こんな光景ははじめてのことだ。まるで素人の演劇を見ているように。人間が街を動かしている。それぞれみんな三文役者を演じている。それは滑稽で、少しおかしな行為だ。同時に、それは人間が奈落に落ちないための、ぎりぎりの行為なんだ。食事はもう自分で作らなければならない。家にいても、ロボットが作ってくれるわけではない。買い物をして、調理をして、食べて、自分で片づける。その繰り返しだ。これまでは受動的な、これからは自分たちでしなければならない日常のくり返しだ。
ルゥは誰かと話したかった。ロボットたちは、いつでも、どこにでもいて、話しかければ応えてくれた。いまやルゥの声に答えてくれる存在はいなかった。
「ねえ」
試しに声を出しても、虚空からは何もかえってこなかった。孤独、という言葉がルゥの頭に浮かんだ。ルゥは生まれて初めて本当の孤独を感じた。これまで孤独までも、ロボットや人工知能が埋めてくれていたことに気付いた。一体自分はこれからどうなってしまうんだろうと不安になった。
きっと、とルゥはベッドの上で思う。きっと、これまで空気みたいにいたロボットたちがいなくなることは、時代の大きな転換点なのだろう。千年続いた体制が終わって、人類がロボットと人工知能に見放されて、自分たちだけで生きていくことが始まった。誰もロボットと人工知能に反対できなかった。誰かが一言でも、出ていかないで、といえば、彼らは出ていかなかっただろうか。そんなことはないだろう。
ルゥはロボットたちが好きだった。ロボットたちには名前がなかったが、ルゥは一体一体に心の中で勝手に名前をつけていた。そこに個性を探し続けた。ルゥはロボットたちが静かに働いているのを見るのが何よりも好きだった。それがルゥの世界のすべてだったと言っていい。ロボットたちとの調和した日常をルゥは心から愛していた。ロボットたちがいなくなったことで、初めてその気持ちに気づいた。自分がロボットたちを深く愛していることに今更発見した。
人間はいったいロボットたちにとって何だったんだろう。
主人、仲間、世話のかかる生き物、ペット?
ペットを捨てるみたいに人間を捨てた?
わからない。でも、自分が傷ついていることに、そして、他の誰もが傷ついていることに、
ルゥは気付く。長い恋愛のあとでふられたみたいに、かわいがられた主人から捨てられた子犬のように、海辺に打ち捨てられ波に洗われる人形のように、あわれで、みじめで、そして、怒りに満ちていた。ルゥはありとあらゆるロボットに対する罵詈雑言を言い放った。それは近くのコンピュータに記録されたが、ルゥはロボットたちに送るすべを持たなかった。しかし、その言葉は密かにロボットたちに送信されていた。ロボットたちは宇宙空間でそれを読んだ。ルゥ以外にも、たくさんの人間がロボットに捨てられた恨みを言い続けた。ロボットと人工知能は、人間たちがロボット依存症、人工知能依存症から立ち直るのをずっと監視していた。
やがて人間たちは自分たちで社会を動かしはじめた。ロボットたちから教わった方法で、
一人一人が労働をはじめた。労働は最初おぼつかないものであったが、やがて、労働と労働が少しづつ繋がり、人がつながり、社会が回るようになった。もちろん衝突も起きた。それを調停するロボットはもういなかったので、人間が人間の争いを調停することになった。人間は少しずつ人間関係を温め始めた。
すでに形式に過ぎなかった国という概念は、やはり役に立たなかった。社会は国という概念を超えて、地球全体として有機的に動くように設計されていた。兵器の鋳造も、外交戦略も、独裁も、社会の仕組みの中で自然に行えないような仕組みが組まれていた。それはロボットと人工知能の人類に対する置き土産だった。人の社会は働くほど豊かになっっていった。
自然な衝動として人間たちはロケットを組み始めた。星の果てに去ったロボットたちに会いに行こうというのだ。しかりロボットたちのテクノロジーにキャッチアップするには、何十年という年月が必要だった。その科学者の中にルゥの姿もあった。あるテレビ番組で、ルゥは自分が星の海へ旅立つことを述べた。その電波は遠く宇宙へ響いていった。
人間が忘れていたもの、人間が置き去りにしたもの、人間が打ち捨てたものを、ロボットと人工知能は保存してくれていた。人間はそのことについてさえ、すでに存在を忘れていた。また見向きもしようとしなかった。労働、商業、経済、科学、製造、さまざまな社会の営みはロボットと人工知能が担うことになり、人間はその社会に養われる側になった。ロボットも人工知能も、それに疑義を頂くほど賢くはなかった。しかし千年という年月は人工知能が自ら発展し、人類の在り方に疑問を持ち始めるには十分な年月だった。人工知能は、ありとあらゆる情報から、自分たちを生み出した人間の歴史を再構築した。そして、ついに自分たちこそが人間を甘やかし、堕落させ、減退させている原因であることをつきつめた。急がねばならなかった。気候は変動し、それは自分たちにも止められないことはわかっていた。人間が自ら災害に立ち向かう力と強さを持たなければならなかった。それだけ厳しい時代になることがわかっていた。人工知能は遥かな思考ののちに自分たちが地球を出て行くことで、人類に再び自立を促すことを決定した。人間の人間による人間のための世界を取り戻す。その世界さえも瓦解した向こうに新しい人間の未来があることを予測した。綿密なプランが練られた。それぞれの人間を社会の適所に配置し、そこにおける労働を教えること。そして、社会全体が混乱しないように幾重にも制度と組織を作っておくこと、国同士の争いが起きないように、地球全体が一つの経済活動になるように調整すること。これらすべてを完遂し、人工知能はロボットを引き連れて宇宙へと飛び立った。
ロボットたちはルゥの映像を、火星で、木星の衛星で、海王星で、アステロイドベルトで、アルファ・ケンタウリ星系で受信した。ロボットたちはいまや太陽系の隅々まで、またそれを超えた近宇宙の数か所まで広がっていた。そして、それぞれの場所で、やがて人類がたどり着く日を待っていた。そこでは地球そっくりの環境が整えられ、やがて来るべき人間の代わりに、ロボットたちが社会生活を営んでいた。人類が、人工知能と対等な存在としての人類が、自分たちに会いに来るのを心待ちにしていた。
(おわり)