デカルトとフッサール
デカルト的世界観が、人間をして自然と対立せしめるというのは、
近代のデカルトの援用であって、本質ではない。
フッサールの現象学も同様に、世界との融和を示すものでもない。
それは融和された状態を出発点として、存在を問い直すことである。
デカルトは世界に対して誠実な態度の出発点を確立し、
フッサールは世界との関わり合いの中で本質を見出そうとする。
フッサールは近代学問の危機を乗り越えるべく、
デカルト、或いは膨らんだデカルト主義を批判し、
新しい哲学(現象学)を確立したが、
体験をこそまずは出発点とし、
コギトに変わる出発点を哲学に与えた。
デカルトのコギトを出発点とする手法は演繹的手法を全学問に浸透させ、
フッサールの体験を出発点とする手法は現象的還元によって本質を見出す方法を浸透させようとした。
しかし、現象的還元は難解であり、それを実践として為すことを通してのみ、人は現象学派と名乗れるであろう。