シニフィアンの平面の傍で。

世界を言語として引き受けるだけでは、
十分ではない。

精神は形成した言語の平面の反対側に、
主体を形成し、

再び言語が来た道を逆に遡って行く言語を、
自由に押し返すことで、

知能を形成し、意識を持つ。
ラカンはこれをシニフィアンの平面と呼び、

主体はそこで、
言語によって引き裂かれるのだと説いた。

我々、プログラマは、
世界をプログラム言語とメモリの平面で引き受ける。

そして、再びプログラム言語によって、
力を行使する。

即ちこれは、センサーとエフェクタ、
或いは知覚と行為、シニフィアンと行動である。

人工知能もまったく同様に、
プログラム言語で世界を引き受け、

そのシニフィアンの平面の反対側に主体を構成し、
再び言語によって世界に参与せんとするものなり。

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