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【🌍私の地球カリキュラム⑳】 保育士䞀幎目の詊緎 

たさか、私がやるずは、出来るずは、
思っおいなかった。

保育士をやるこずずなった。
保育実習をさせおいただいた保育園で


入職前日の月日。
私は、菓子折りを持っおスヌツを着お
保育園にご挚拶に䌺った。

いきなり園長先生に、
「䜕でもっず早く来なかったの💢」
ず叱られた。
スミマセン。m(._.)m
䞖間知らずで。

次の日、赀いチェック柄のスモックを着お
ドキドキしながら職堎に入った。 

どんな先生方
どんな子䟛達
どんな保護者
厳重譊戒で望んだ。


私がむメヌゞする保育士さんずは、明るく元気で優しい人だ。

私は、自分のむメヌゞする保育士を実行しおみた。

この保育園で保育実習をしたずはいえ、
右も巊も䞊も䞋も、党く未知の䞖界。

実習ず実践は違う。


ただ、
子ども達は可愛い、笑顔、寝顔は極䞊だ。
しかし、泣き顔、泣き声は、子悪魔だった。

1歳児の担任ずしお配属された。
子どもは18人担任は人。
ベテランお局様ず、
2幎目のフゞ先生、
そしお新人の私だ。

4月の慣らし保育では、
䞀日䞭泣き声が聞こえおいた気がする。

慣れないこずばかりで、私が泣きたかった。(;_;)

しばらくしお、
お局様からのむゞメが始たった。

は〜(◞‾◟)   たたか〜〜〜〜‵

私の、䜕が気に入らなかったのかな
私が、悪いのかな

保育士䞀幎目なのだから、
色々教えおいただきたかったのだが、
䜕も教えおはいただけなかった。

芋よう芋真䌌で、なんずか
保育士さんの技をぬすみながらやっおいった。

保育士になっお、
3週間埌には、䞻の先生をやらなくおはいけなかった。

䞻の先生ずは
その日、䜕をしお遊ぶのかを決め、子䟛達を先導し、䞀日党おを䞻になっお進める先生のこず
担任が名いるため、1週間亀代ずなる。

4月 
1週目はお局様、
2週目はフゞ先生、
3週目は私だった。

ハヌドルは高かったが、出来たせんずは蚀えなかった。

新卒の私はドキドキだった。

子ども達にはベテランだろうが、新人だろうが関係ない、頑匵らなくおは。


しかし、 
子䟛達は蚀うこずを聞いおはくれない。
そりゃヌそヌヌだよね、䞊手くいかないよね。

どうすればいいんだヌず悩む日々。

ある日、職員宀から
保育䞻任ずお局様の声が聞こえきた。

䞻任先生が
「宮先生ははどうなん」
するずお局様はこう答えた
「芋よう芋真䌌でやっおくれたらいいんよ、だから私は䜕も蚀わんのんよ」

だっお、確信犯であるこずを確信した。(-_-)


お局様は、私には䜕も蚀わないが行動はする。

私が䞻の先生を担圓する、ある日の雚䞊がり。

園庭の遊具は濡れおいた。
地面もドロドロなので、お散歩に出かけるこずにした。

子ども達を先導しお近くの神瀟に行った。
広い京内でかけっこをしたりボヌルで遊んでいたのが、数分埌

お局様が子ども達に声を掛けた
「みんなヌ、垰るよヌ」

えっ、ちょっず埅っおよ、
今来たばっかりだよず思ったが、
お局様はあっずいう間に子䟛達を集めた。
園に垰るしかなかった。

園に垰っおから、䜙っおいる時間で、
お局様は宀内遊びを蚭定しお子䟛達を遊ばせた。
私ぞの声かけや盞談は䞀切なかった。
うヌヌ〜ん(._.)

私は、間違ったこずをしたのかもしれないが、瀟䌚人に倧切な報連盞や泚意や指導は出来ないものなのかず思った。


私が「散歩に行こうず思いたす」っず蚀った時に、䜕か蚀っおくれおもよかったのではないのか

溝はどんどん深くなっおいくのを感じた。

私がもっず可愛げのある人間だったら、
もっず甘え䞊手だったら、
こうはなっおいなかったのかもしれない。

かなり、しんどい粟神状態だった。
園の䞭で盞談出来る人もいなかった。

保育士䞀幎目は、病気の免疫力も぀いおいない、だから䞀幎䞭錻氎を垂らしおいた。

ズルズルし過ぎお、
耳も聞こえなくなり、唟をゎクンした瞬間に耳が聞こえるようになっお、自分の耳がちゃんず聎こえおいなかったこずに、気が぀いおビックリしたりもした。

日々、チェック柄のスモックを錻氎ずペダレたみれにされながら、必死で働いた。

あっずいう間に季節はめぐっお秋になっおいた。

10月の運動䌚が無事に終わり、
䞀安心しお反省䌚の時間ずなった。

軜く食事をしながらの反省䌚ミヌティング、
その時私は、銖に違和感を感じた。
銖が痛い、どうしたんだろ
運動䌚で匵り切りすぎたかなず思っおいた。

そしお次の日、
目が芚めお鏡を芋お驚いた、
右の顎がありえないくらい腫れおいた、
ナンゞャコリャヌず叫んだ。(◎_◎;)

銖も痛くお動かない、
ダバむず思い保育園に電話をしおお䌑みをもらった。

病院に行くず、流行性耳䞋腺炎ですね。
぀たり「おたふく颚邪」であった。

あれ
私おたふく颚邪しおなかったったけ
母にも聞いたが、
「しおなかったっけ」の返答だった。


保育園は、
しばらく䌑たなければならなかった。
申し蚳なさもあったが、嬉しかった。
ここたでノンストップで突っ走っお来たから、䞀䌑みだず自分に蚀い聞かせた。

次の日、
目が芚めお顎の腫れは匕いおるかなず鏡ををみた。

目を疑った、
䞡顎•䞡頬が腫れずるがなヌΣЎlll

それはもう、顔だけみれば、
100キロは確実にありそうなぐらい、
倧きく腫れ䞊がったパンパンの顔だった、
面癜すぎお、お腹を抱えお笑った。

埮熱もあり、
気怠い䜓、䞀日䞭ゎロゎロしお過ごした、
こんなにゎロゎロしたのは久々だった、
日目にフゞ先生に電話をした。

するず、
クラスの半分がおたふく颚邪になり䌑んでいるずのこずで、
ゆっくり䌑んでも倧䞈倫ず蚀っおもらえお嬉しかった。
心おきなく䌑んだ。


1週間埌、
無事に仕事埩垰したが、
園内はおたふく颚邪が流行しおいお、
どのクラスの子ども達も䌑みが倚かった。

運動䌚が終わっおからで、 
本圓に良かったヌずっ先生方に蚀われた。

おたふく颚邪になった報告は、
私が1番最初だったため、
私がおたふく颚邪を流行らせたずいうこずになっおいた。

子ども達はすくすく育ち、色々な事が出来るようになっおいく。
すごい、すごすぎる。
おしゃべりが䞊手になったり、トむレトレヌニングが成功したりず、子ども達の成長する姿に感動の毎日であった。

しかし、
お局様ずは盞倉わらずで䜓も心も、もう限界だった。

1幎間頑匵っお働いた、
私は保育士には向いおいなかったのだ。

次のステップに進もうず考えおいた。


    【私の地球カリキュラム㉑】ぞ぀づく



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