気づいた人の責任があります
先日のオンライン進路相談会のお話です。
イベント開催までにぶつかった壁
この進路相談会で実は私はいわゆる「壁」にぶつかりました。
どんな壁かというと、「学生側の集客がなかなか集まらない」という壁でした。
自分なりに集客をしていたのですが、なかなか数字に現れてこなかったのです。
半ば諦めかけていた私は社長に相談しました。
そのとき私はボソっと言ってしまいました。
今の感じだと告知を見てくれた富山県の就活生の20人に1人が来てくれればいい方だと思います
すると社長にこう言われました。(チャット抜粋)
なんで残りの95%の子は来てくれないのかな
どうして彼らには響かないのかな
(中略)
10%も興味持たせられてない(地域カスタマイズできてない)としたら
マーケティングが甘いので
そこを磨こう
どうしたらいいかな
はっとしました。そういえばなんでなんだろうと。
自分の中で思考が「富山の就活生」で止まっていたのです。
いわゆる"解像度"が低かったのです。
なぜ彼らには響かないのだろうと改めて考え始めました。
気づいた人の責任があります
続けて社長にこう言われました。
あびちゃんとか〇〇とかだけが機会を享受できてるのは個人単位では幸せだけど、地域としてみたら変革が足りない
気付いた人の責任があります
なんとしてでも集めよう
「気づいた人の責任があります」
今まで生きてきて初めて聞いた言葉で、初めての感覚でした。
今までを振り返ってみると、私はたまたま取っていた授業で社長に出会いました。そこから10ヶ月がたち、本当にたくさんの気づきと学びの機会をいただいてきました。
間違いなく私は彼との出会いで変われた、いや、変わりつつあります。でもやはり1人でできることはわずかです。共感してもらえる人を増やし、スケールさせていかないと世の中は変わりません。
私にとってこの学びを享受できたことは幸せですが、もっと視野を広くするとこの学びを個人のものにしておいてはいけない。今、自分がやろうとしていることは単なる妄想、机上の空論で終わってしまいます。
逆に言うと気づけなかった人には変えるチャンスすらなかったのに、自分は気づけている。変えられるチャンスがあるということです。
そのチャンスを投げ捨てるのか、自分のものとし行動するのか。
私は真っ先に後者でありたいと思いました。
自分の中にある正義を事業を通して確かめたい。
事業とは自分の正義を確かめることである
この言葉を思い出しました。
"起業家"のかばん持ち
起業家のもとでかばん持ちをしていなかったら気づけない視点だったかもしれません。
今回のイベントを通してまた一つ新しい視点と学びを得ることができました。
相変わらず"もらって"ばかりなのですが、ここでもらった学びは多くの人に還元していきたいと改めて感じました。
気づいた人に責任があります。
いや、気づいた人にしか得られなかったチャンスがあります。
さぁこのチャンスをいかせるのか。
社長のかばん持ちはまだまだこれからです。