これからの時代の"生産性を格段に上げる"究極の方法
社長との会話でよく出てくる話がある。
やりたいことだけをやろう!
やりたくないことをやっていても誰も幸せにならないから!
これです。最近は毎日のようにこの話をします。
やりたくないことをやっていることの負
"かばん持ち"で気づいたことは、
やりたくないことをやっている時、パフォーマンスが上がらないということです。
それでもやるべきだ!
という声が四方八方から聞こえてきそうですが、これが現実ではないでしょうか。
そして、"やりたくないことをやっている"ことで、
負のスパイラルが生まれるように思います。
"やりたくないことをやっている"ことによる負のスパイラル
やりたくないことをやっている
↓
生産性が低下する
↓
他者への悪影響が出る
↓
チームとしての生産性が低下する
↓
会社の生産性が低下する
↓
業績の低下
↓
社会システムとしての生産性の低下
やりたくないことをすることによって、その影響は他者、チーム、会社、そして社会システムにまで影響します。
"きれいごと"だけど
「生産性」という切り口で社会とビジネスと個人の幸福を捉えると、
究極の理想は、
全員が"やりたいことだけをしている社会"
といえるのではないでしょうか。
かなりの"きれいごと"に聞こえるかもしれませんが、"生産性"を考えた時に目指すべき姿はこのような世界なのではないかと思います。
"熱中"に勝るものはない
周りからどんなに"つらそう"、"たいへんそう"に見えても、
本人がやりたくて、"熱中している"ことは、苦ではありません。
わかりやすい例で言うと、
走ることが好きで毎日ランニングする人と、
運動が苦手だけど、健康のためにダイエットしなければならず、そのためにランニングしている人でしょうか。
前者は"ランニング"に対して苦を感じないでしょう。
一方で後者は"苦"でしょう。ダイエットの結果が出るまでは。
前者にとってのランニングは幸福を形づくる要素の一つなので努力ではないのです。
後者は"ダイエット"という目的を達成するための努力です。
要するに、やりたいことをやっている本人は他者からどんなにつらそうと思われても、それがつらいと感じることはなく、それを”努力”とも感じないのです。
なぜなら、前者は"熱中している"から。
組織を考える
社長とよく話す話題の中にこんな話があります。
"結果が出ないし、つらくてやめたい"と思っている野球部の部員が、
監督に”野球部を辞めたいです”という時、
監督はとっくに"この部員は早く辞めた方がいい"と思っているわけさ。
なぜなら、その部員の彼自身が幸せじゃないし、結果を残せない子を残しておくことに野球部としても嬉しいことはないから。
だから本人が、"やりたくない"とか、"つらくてやめたい"と思った時はさっさと辞めた方がいいし、辞めさせた方がいいということがあるんだよね。
会社の組織もそうで、活躍できない社員がいるのは、
"その人のせい"というよりも、配属するところが間違っていたりすることがある。だから、"やりたきことだけをやる"、そんな人材の流動化がもっと進むといいよね。
きれいごとだけど、本質なように私は感じます。
複業や副業、ギグワークが広がったり、雇用関係がフラットになりつつあったりする昨今、
これからの時代の組織を考える上で、一つ大事な考え方なのではないかと思います。